2020年2月29日土曜日
枯野ゆくとき
すこしまえのことだ。正月の善光寺参りも無事に叶い、これもひとつの奇跡だと考えた。ちょうど一年前にも近所の観音堂で同じ思いを抱き、そのまま岡田神社の境内に立ち寄った。その日もぶらぶらと散歩に出た流れで同じ観音堂とお宮を訪ね、過ぎ去った一年の日々を振り返った。
このお堂には、この岡田の地を治めていた岡田親義という中世の武将も崇敬したと伝えられる観音様がいらっしゃる。岡田親義は木曾義仲の寄騎(よりき)として倶利伽羅峠の戦いで討ち死にした。観音様はその最後を見届けて、その魂をきっとお救いになったことだろう。
わたしはこの観音様を拝んだことが無い。薄暗い扉の向こうにきっと厨子のようなものが置かれてその中におわすのだろうか。お姿がなくともなにごとかがおわすのははっきりしていて、ここへ来ると必ず手を合わせる。
合掌する我が指が、十本あった。
昨年、一本を落としかけたのを何とか繋げてもらい、九本指の合掌を免れたこともまた奇跡である。もし一本を失っていたと仮定したら、その指はどんな眼に遭うのだろう。医療廃棄物として処理されるのだろうか。薬剤に漬けられてわたしにくれたのだろうか。少し考えてみたがわからない。とにかくわたしの指は、わたしから離されることなく、わたしの手に付いている。
こどものころに読んだ、濱田広介の作品に、蜥蜴の尻尾を描いた物語があった。ねこだか鼬だかに襲われた蜥蜴が尻尾を棄てて逃げる。置いてけぼりにされた蜥蜴の尻尾は、あるじの蜥蜴が迎えに戻ってきてくれるのを待ちながら儚くなる。もし失われたとなれば、わたしの指も同じようにわたしを待っただろうか。
そう考えたとき、絶望的な孤独、という感情、あるいは状況を思い浮かべることが出来た。わたしの指はともかく、蜥蜴の尻尾はまだ救われたかもしれない。待つ、という希望があったからだ。しかし、すべての人にひとしく同じ定めとして、その最後は絶望的な孤独のうちにあるのだ。そう悟った時はじめて、やはり何かに寄り掛かりたい、すがりたいという願いが理解される。
岡田神社は、古宮が古事記にも登場する古いお宮である。やはりなにごとかが鎮まり、わたしを見ておられる。
集落の道祖神。辻に立って邪や厄が入り込むことを防いでくれる。わたしたちは、なぜかなんらかの他者の存在を思い描き、そこに願いを託している。観音様も、神さまも、道祖神も。
枯野ゆく我が影に眼を落とすと、お堂やお宮におわす他者としての「なにごと」かが、確かなリアリティを帯びてきた。わたしが枯野を歩いている。影法師が落ち葉の上に揺れている。影法師はわたし自身だろうか。わたしではない何者かだろうか。棄てられたかもしれないわたしの指は、わたしだろうか。そんなことを考えているわたしが居て、神仏はそれを見ておられるだろうか。
櫟林は尾根伝いにずっと続いている。
丘を下りて小川のせせらぎを聴きながら、拙宅の屋根を眺める。
売りにゆく 柱時計がふいに鳴る 横抱きにして枯野ゆくとき
2020年2月27日木曜日
春だからロールキャベツを作る
ある春の日曜日の、わたしの朝食。スパゲッティ250gを茹で、レトルトのミートソースを掛けてある。若い頃ならば300gをぺろりといけたが、ミドルの胃袋に朝から300はきつくなってきた。弁(わきま)える、という言葉があるが、まさにその通り。四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う。いや本稿はロールキャベツである。
週末、娘に問う。「ロールキャベツ、食べるかい?」
「え、いいの?」
娘が食べたいとせがむと、父は山に行くのを取り止めてでも厨房に立つ。君の血となり肉となるものだ、父さんが心を込めて作ろう。
芯をくり抜いた春キャベツにラップを掛け、電子レンジに放り込む。200wで10分、500wで4分。葉っぱが柔らかくなると剥がしやすくなるのだ。
これがおやじの手料理のいやらしい部分だ。
鶏ひき肉を使うくせに、ささみを用意している。筋を除いて薄く塩胡椒を振りぶつ切りにしたあと、あんに混ぜるのだ。
ほら、こうして。単調になりかねないひき肉の食感に、ぶりっとした「肉」の歯ごたえ、味わいを挟み込むギミック。もも肉でも構わぬ。早茹ででないマカロニでも良い。
昼を過ぎた。二階でせがれがアイルランド音楽をならしているので、これを言い訳にブッシュミルズを呷ろう。
鍋にロールしたロールキャベツの前身を置いていく。立てる、というメソッドがあるらしいが未だ試していない。未知なる経験に一歩を踏み出せないでいるミドルの情けなさ。
煮込んでいる時間にブレードと遊ぶ。ついに手にしてしまった、YP Taontaの手鍛造によるブランクである。鎚目が残る、鍛冶職人の手の匂いがそのまま打ち鍛えられたようなブレード。タオンタおじいさんは高齢で鍛冶場に入ることも減ったような知らせも聞いた。これは若きお孫さんのたくましい腕が鍛えた品物であろうか。いずれにせよYPの刻印がある以上、タオンタおじいさんが認めたブレード、真のプーッコブレードであることは間違いない。フィンランドのたから、この惑星の至宝である。時間をかけてベベル面をミラーフィニッシュに近いところまで磨いてある。
手前ふたつがラウリのファクトリーメイドのブレード。切れ味はすばらしい。が、正直、タオンタじいさんの鍛冶場で鍛えられたブレードは、鳥肌が立つような、凄絶な切れ味を見せてくれた。
わたしのロールキャベツは、タオンタ鍛冶のブレードのような美しさと奥深さを備えていただろうか。
いや、いまひとつ、深み高みに届かなかったようだ。こどもたちは喜んで平らげてくれたが、ぐぬぬぬ、いまだ修行の道のり半ばと、ミドルは唇をかんだ。
2020年2月22日土曜日
焼きそばの正義を巡る考察
焼きそばに関しては、かなり複雑な思いがある。
幼少期に、母に作ってもらえなかったこと。学校給食で食べた焼きそばはキャベツの芯ばかりが記憶に残っていること。なぜか、焼きそばはわたしの食の記憶の中で、意識の辺境の、なんというかこころの片隅の部分に留められている、幾分ネガティブな体験、そして存在なのだ。
故郷を持たなかったわたしが信州まつもとの街はずれに暮らすようになって、地域のつながりを持つことができた。地区の伝統行事とか、公民館の催事とかそんなつながりである。つながりの中でわたしは何故か「焼きそば担当」という位置づけに指定され、同い年のK君とふたり、年に数回、焼きそばを作るのである。作ると書いて違和感を覚えるのが、夏祭りでは合計500玉の麺を使う。鉄板2台、ひとり250玉。長蛇の行列を前に二時間をほどこれをやると、数日間は腕が上がらない。背後には肉野菜係、ソース係、パック詰め担当、会計などと七人ほどのスタッフが仕事をする。わたしとK君はひたすら焼くだけである。地獄としかえ云えない。
焼きそばへの恨みつらみを書いてもしょうがない。とにかく250玉の焼きそば仕事のせいで、わたしはソース焼きそばを拒絶するようになった。あんなもん、喰えるか!
ある晩、こころの奥底に潜むマリーがわたしにこう囁いた。
ソース焼きそばが嫌いなら、あんかけ焼きそばを食べれば良いじゃない?
さすがのマリー。わたしの意識の中にも革命を起こしてくれた。求めたのは、売り場で百円もしないレトルトの中華丼のもとである。これを麺にかければあんかけ焼きそばに変ずるではないか。しかも手が掛からない。
麺はあらかじめ電子レンジで温めておくと良い。ふた玉、500wで30秒。これをテフロン加工のフライパンで数分焼く。焦げ目が付いてきたら、たっぷりのごま油をたらーり掛け回して火を止める。加熱すると香りが飛ぶので、気をつけて。
温めておいたレトルトパウチを開封し、焼いた熱い麺に乗せるのである。あんかけは正義。あんかけは真善美。あんかけこそ、人生の目的なのかもしれない。
かりりとした麺の歯触りに絡むあんかけを味わいながら、わたしのこころにはいろいろな事象が去来していた。母さん、焼きそばのことであなたを責めて済まなかった。早稲田通りの中華屋さん、所持金が足りない学生のわたしに「大盛りにしておいたよ」って作ってくれた店長さんありがとう。能登の海辺のコンビニにて、歩き旅のわたしが求めたカップ焼きそばに「肉まん夜中に処分するんすけど、やじゃなかったら食べます?」とおまけしてくれたバイトさん、感謝!
わたしの人生のさまざまな場面で起きた出来事の、焼きそばをキーワードに蘇って来た記憶の圧倒的なヴォリュームに潰されそうになりながら、わたしはあんかけ焼きそばを完食した。
むろん、レトルトに甘んじて手抜きをするだけではない。
もっと野菜を! たましいがそう叫ぶ夜がある。
これで我が晩飯、一人分である。
高らかに叫べ、人生の歓びを。
どこまでも香れ、ごま油よ。たましい焦がして。こころ燃やして。
青葱と白胡椒、そして和芥子のファンファーレが、あんかけ焼きそばを祝福する。我が人生、焼きそばに一片の悔い無し。
2020年2月16日日曜日
寒の底で牛筋を煮る
二月だというのに、雨音がしている。それでも底冷えのする日々はあった。少し前、高校生の倅が「野山を少し歩いてこようよ」と誘ってきたので出かけると、古い街道の峠で冷えに冷えた。峠から下りてきてからまちにもどり、肉売り場で国産の牛筋肉を買い求めた。
鍋に湯を沸かし、塊ごと放り込む。ぐらぐらと煮立てて半時間ほど煮る。この湯は全部流してしまい、牛筋をよく洗ってからひと口に切る。
根菜と葱の青いところを用意し、ここへ筋肉を加える。味付けはまだのことで、日本酒を二合ほど注ぐ。灰汁をすくいながら、燗酒を飲んでいた。普段は冷やでちびちび舐めるが、峠歩きで冷えきっていた身体が「熱いのを」と求めてきたのだ。
アルミ箔で落とし蓋をしておき、ひと風呂浴びて来る。ようやくに暖まった。鍋の中では素材たちが愉しそうにふつふつ云っている。蜂蜜、黒砂糖、味醂を入れて、日本酒をまた一合ほど足してやる。風呂上がりだ、わたしは冷やで口に含んだ。忘れかけていた椎茸を鍋に投じる。
牛筋が柔らかくなったところまでじっくり炊く。二、三時間は炊いただろうか。味見するととろり、ほろり、と牛筋が応えてくれた。一度冷まさねば、本来の味わいは得られない。あら熱を取り、容器に移して冷蔵庫へ。何日かに分けて少しずつ楽しもう。
葱を刻んで乗せ、善光寺さん御門前の八幡屋磯伍郎を振る。寒の底の夜は、こうしたのが一番嬉しい。
2020年1月31日金曜日
骨猿の谷
その谷を遡行してみようと思ったきっかけは、地形図だった。安曇野に落ちる小さな沢の地形が興味深かったからだ。小突起が並ぶ複雑な地形、断崖を表すゲジゲジマーク、そこに思い浮かべたのは、小さな流れながらもゴルジュを連ねる陰気な渓相だった。もう何年も前の初夏のことだが、わたしはローカットシューズにヘルメットと少しばかりのガチャを携えて、単独、件の谷へと向かった。
安曇野の別荘地の一角、大きなお寺の裏から谷に降りることが出来た。沢沿いの林道は途中で消失していたが、川原に下りてしまえば岩と流木を除けながら歩くだけだった。堰堤をいくつか乗り越えたり巻いたり、さらに支流を分けたり進みながら、やがてわたしは本流の流れの真ん中に居た。
地形図の情報から推測して、本流はやがて急な斜面を流れ下りて来ることが判っていた。滝のマークは無いが、百メートルに満たない区間に六本の等高線が数えられる。期待と不安の混じり合わせの気持ちで本流を進んだ。
斜面の下からて、わたしは口をあんぐりと開けたまま、連瀑を仰いだ。いくつか岩を攀じのぼりながら水しぶきを浴びてみた。そして怯んだ。とても登れるものではない。
地形図を眺めて、別な流れを遡って行くと、小さな尾根をまたぐだけで連瀑帯の上に出ることが出来ると知った。何とそのルートには、電力会社の巡視路が儲けられていた。
明瞭な踏み跡をたどり、少し下りて来れば滝の上に出た。ここからは崖に挟まれた流れが続くはずである。
腰からへそぐらいの瀞や渕を進む。初夏だから水は冷たい。花崗岩の足元にはこけが無くスリップすることはなさそうだった。
容易に越えられる滝がいくつか迎えてくれる。あえて真ん中をじゃぶじゃぶと進んだ。
身体が冷えてきた。頭上に送電線を仰ぐ場所で珈琲を味わう。手製のアルコールストーブが写っている。
流れが北に直角に曲がる地点に来た。10メートルぐらいの滝になっている。
滝の下で、右側の何処を登ろうかと眺めていたら、傍らに骨猿が居た。苔むしたところで、頬にもこけを浮かべている。何も言わずに虚ろな眼孔で暗い樹林を眺めていた。わたしは彼に挨拶し、滝の右側を登ってみた。ほんの数メートル。脆い岩のホールドに悪態を少しついて、骨猿の所へ戻った。ハーネスを装着したまま流木に腰掛け、時おり吹き下ろして来る風に震えながら、彼と何を話そうかを考えていたが、お互いに何も話すことが無いとわかった。簡単な挨拶を済ませ、わたしは骨猿の谷を後にした。
2019年12月31日火曜日
ブッシュ・クラフトの日
冬の一日、お頭から招集が掛かると、わたしたちは森へ出かける。
出かける場所は決まっていて、とある森の一角で赤松の小枝を集めるのだ。森の傍らには清流が流れている。花崗岩質の白い砂が美しい流れだ。ここで集められた赤松の小枝は、わたしたちが住むまちの人々に配られ、その玄関を飾る。古い年は過ぎ去り、新しい年が訪れる。松が取れる、と書くように玄関を飾った赤松の小枝が外され、町内の子どもたちがこれを再び集める。集めて広場へ運び、小正月の道祖神の祭礼が催される。当地ではこの祭礼、行事を『三九朗』と呼ぶが、どんと焼き、左義長と書けば解りやすいかもしれない。
三九朗のことは、来年の行事が行われた後でまた書こう。
例年、わたしは剣鉈と鋸を携えて森に入った。今年、手製のプーッコを加えてみる。先ごろに書いた花梨ハンドルの一本だ。写っている革ベルトには少し思い出がある。もう三十年もむかし、日本海べりを歩いて旅していた。春頃から歩き始め、真夏を過ぎた日のことだった。能登の静かな海岸で、この革ベルトはある事情からわたしの所有物となった。以後、こうして年に数回、腰に巻かれる。わたしは普段、finetrack社の『ストームゴージュ・パンツ』というスボンを履いている。秋から冬は同じく『ストームゴージュ・アルパインパンツ』に変わる。だからベルトを必要としていない。
鋸は、いつもケツのポケットに刺していた。せっかく下手くそな革細工を覚えたのだから、と前夜に床革で鋸のケースを作った。レザークラフト、と書けるような立派な手技ではない。本当に下手くそに革を切り穴をあけ糸を通すのだ。
登山用のシュリンゲ、これには使い道がある。沢登りをなさる方はご存知だろうが、伐り集めた松の枝を運ぶのに重宝するのだ。
花梨ハンドルのプーッコの鞘を見てほしい。とてもクラフトと呼べる代物じゃない。けれど、このプーッコにも鞘にも、とてつもなく深い愛着がわいている。眠るときは枕元に置いて、夜中に目覚めた時にはそっと手を伸ばして触れてみるほどだ。
自分で作った道具を携えて、森に入る。森の中の作業は単純で、そこに冒険の要素は無い。ところが、枝を切る、縄を切り揃える、竹を割るといった単純な作業に歓びを覚える。鋸をケースから出す、戻す、そんなひとつひとつの動作に道具たちとの対話が生まれる。何と愉しいことなんだろう。もうあと半日で、この一年が暮れる。やがて次の招集が掛かり、小正月の朝、わたしたちは竹林に出向く。すっくと伸びた孟宗竹を数十本切り、大きな三九朗を作るためだ。その日のわたしの腰には、この革ベルトと剣鉈と鋸がぶら下がっている。そして花梨ハンドルのプーッコも。おっと、いまチンチャン(手違紫檀)ハンドルの一本を手がけているから、プーッコは替わるかもしれない。
2019年12月22日日曜日
あるご先祖さまのこと
ずいぶんむかしのご先祖さまのことを書く。

場所はたぶんアフリカで、あの大陸の何処かだと思う。そのころ、誰もが石の塊や木の棒、あるいは動物の骨を道具として使うことを知っていて、生き延びるためにそうした道具の工夫を続けていたのだ。そうしたなかで小さな奇跡が起きた。新大陸の発見とか、天王星の発見とか、ふうっと霞んでしまうぐらいの大発見だ。あるひとが、割れた石くれの鋭利なエッジが、肉や毛皮を切り裂くのに適していることを発見したのだ。エッジは、ほ乳動物などの獲物を仕留めて肉を切り分ける場面で使われたことだろう。かぶりつく、引きちぎる以外の効率的な方法を得たのだ。これにより、手に入れた食糧を咀嚼する、つまりエネルギーに変える時間が短縮され、また他人やほかの肉食獣に横取りされるリスクが軽減され、彼、あるいは彼女は生存していく上でやや優位な状態に置かれることになった。わたしは、この鋭利なエッジを使うことを発見したご先祖さまに、全身全霊でお礼を云いたい。ありがとうグッジョブ。
さらにある時ある場所で、もうひとつの奇跡が起きた。較べれば火薬、羅針盤、活版印刷の発明なんてゴミカスだ。ある天才的な知性を備えたご先祖さまが、石を意図的に割って鋭利なエッジを作り出すという発明を成し遂げた。このご先祖さまは、世界で初めてナイフを作ったのだ。ものすごいことだ。ナイフを作れるご先祖さまの集団は、これにより獲物の肉を切る、土を掘る、植物の組織を刻むなどの知識と技術と道具を手に入れ、生きていく上でさらに優位な立場に立ったのだ。他の集団が食糧不足で、あるいは気候変動への適応が困難で、ほかにもさまざまな理由で生存が不可能になったような場合でも、生き延びたり集団を維持したり、そして子孫を残したりすることが可能になったのだ。わたしは、この初めてのナイフを作り出した発明家のご先祖さまに、万感の思いを込めて言いたい。あんた最高だよ。
こんにちのブッシュ・クラフトと呼ばれる世界を伺い覗いてみると、一本のナイフからマグやカトラリーなどの生活道具を作り出す光景が見られる。そう、一本のナイフは、次なる様々な道具たちを生み出すことが出来る「母なる道具」といえるだろう。道具を作るとは、何を意味するだろうか。先に書いた肉を切る例にとどまらず、要するに自分の置かれた環境、あるいは状況を、より適切で好ましいかたちにイノベートしていくことに他ならない。道具を作るとは、生産性を上げたり、安全性を高めたり、快適性を得たり、大きな恩恵をもたらす行為なのだ。そしてどのような道具が必要か、道具の素材や機能を考えるという行為は、大脳の発達、手と指の発達に多大なる貢献をしたはずだ。ナイフの発明が何十万年前の出来事なのか、わたしは知らない。仮に百万年前の出来事として人類史に刻むことが出来るなら、わたしたちは少なくとも百万年、考え続けているのだ。考えることを止めた集団は巧く適応が出来ずに消えていった。考え続けた集団のそのまた一部が、遺伝子を残した。そのエリート集団のひとつから、あるときある場所でホモ・サピエンス・サピエンスが登場し、一部がホモ・ネアンダルターレンシスのDNAを受け継いで、アフリカから地球上へと広まっていったのだ。ナイフとは、知恵の道具だ。知恵の道具を獲得し、活用し、イノベートできたわたしのご先祖の一人は、三万年ぐらい前にこの列島に辿り着き、仲間を増やしていった。
そんな大昔のことを何故お前が知っているのか、だって?
この問いには、完全なる答えをわたしは持っている。それは、わたしが今こうして存在しているからだ。わたしの遺伝子は、宇宙から飛んできた訳じゃない。
松本市内の丘の上に、わたしの岳父の墓所がある。正月を前に掃除に行ってこよう。泉下の父祖たちへの感謝をこめて、この国では普通に行われる行為だ。午後の予定は? フィンランドから取り寄せたブレードに、ハンドルを接合してある。タング末端のカシメも済ませている。少し削っておこうか。それともレザーシースの仕上げが途中で止まっている。おっと、友人たちへ贈る予定のプーッコのハンドル選びもまだだ。すごい発見を成したご先祖さま、ありがとう。すごい発明をやり遂げたご先祖さま愛してるよ。わたしは、あんたがたが人類史に打ち立てた金字塔を、その誉れ高き行為のことを忘れない。西暦2019年の終わり近くに、地球上の全人類を代表して礼を言いたい。生きるって何だろうね。ようやくそれが少しだけ解り始めたから、こんな書き方するけどね。神奈川の或る神社のお祭りのことだ。悠久のむかしに鎮座していた場所が古社として残されていて、祭礼では神輿が古社へと渡御すると聞く。かつて集団が古社のあたりに栄え、そして今の場所に移ったのだそうだ。そのことを忘れずに、毎年の「例祭という記憶装置」を働かせているのだ。ご先祖さま、忘れないよ。あんたがたは石を探したり、割ったり、工夫したりしたんだね。わたしは、フィンランドから半完成品のブレードを取り寄せるような横着をしてるけど、いつか自分で鍛造してみせる。ハンドルを工夫する以上に難しいのは解ってるけど、あんたがたへの敬意を混めて、やってみようと思う。生きるって何だろう。それは意識的な行為なのだね。受動する、待ち受ける場面もたくさんあるのだろうけれど、みずから進んで獲得していかなければならないものなのだろう。最後にもう一回だけ書く。遠い遠いご先祖さま、あんた最高。
場所はたぶんアフリカで、あの大陸の何処かだと思う。そのころ、誰もが石の塊や木の棒、あるいは動物の骨を道具として使うことを知っていて、生き延びるためにそうした道具の工夫を続けていたのだ。そうしたなかで小さな奇跡が起きた。新大陸の発見とか、天王星の発見とか、ふうっと霞んでしまうぐらいの大発見だ。あるひとが、割れた石くれの鋭利なエッジが、肉や毛皮を切り裂くのに適していることを発見したのだ。エッジは、ほ乳動物などの獲物を仕留めて肉を切り分ける場面で使われたことだろう。かぶりつく、引きちぎる以外の効率的な方法を得たのだ。これにより、手に入れた食糧を咀嚼する、つまりエネルギーに変える時間が短縮され、また他人やほかの肉食獣に横取りされるリスクが軽減され、彼、あるいは彼女は生存していく上でやや優位な状態に置かれることになった。わたしは、この鋭利なエッジを使うことを発見したご先祖さまに、全身全霊でお礼を云いたい。ありがとうグッジョブ。
さらにある時ある場所で、もうひとつの奇跡が起きた。較べれば火薬、羅針盤、活版印刷の発明なんてゴミカスだ。ある天才的な知性を備えたご先祖さまが、石を意図的に割って鋭利なエッジを作り出すという発明を成し遂げた。このご先祖さまは、世界で初めてナイフを作ったのだ。ものすごいことだ。ナイフを作れるご先祖さまの集団は、これにより獲物の肉を切る、土を掘る、植物の組織を刻むなどの知識と技術と道具を手に入れ、生きていく上でさらに優位な立場に立ったのだ。他の集団が食糧不足で、あるいは気候変動への適応が困難で、ほかにもさまざまな理由で生存が不可能になったような場合でも、生き延びたり集団を維持したり、そして子孫を残したりすることが可能になったのだ。わたしは、この初めてのナイフを作り出した発明家のご先祖さまに、万感の思いを込めて言いたい。あんた最高だよ。
こんにちのブッシュ・クラフトと呼ばれる世界を伺い覗いてみると、一本のナイフからマグやカトラリーなどの生活道具を作り出す光景が見られる。そう、一本のナイフは、次なる様々な道具たちを生み出すことが出来る「母なる道具」といえるだろう。道具を作るとは、何を意味するだろうか。先に書いた肉を切る例にとどまらず、要するに自分の置かれた環境、あるいは状況を、より適切で好ましいかたちにイノベートしていくことに他ならない。道具を作るとは、生産性を上げたり、安全性を高めたり、快適性を得たり、大きな恩恵をもたらす行為なのだ。そしてどのような道具が必要か、道具の素材や機能を考えるという行為は、大脳の発達、手と指の発達に多大なる貢献をしたはずだ。ナイフの発明が何十万年前の出来事なのか、わたしは知らない。仮に百万年前の出来事として人類史に刻むことが出来るなら、わたしたちは少なくとも百万年、考え続けているのだ。考えることを止めた集団は巧く適応が出来ずに消えていった。考え続けた集団のそのまた一部が、遺伝子を残した。そのエリート集団のひとつから、あるときある場所でホモ・サピエンス・サピエンスが登場し、一部がホモ・ネアンダルターレンシスのDNAを受け継いで、アフリカから地球上へと広まっていったのだ。ナイフとは、知恵の道具だ。知恵の道具を獲得し、活用し、イノベートできたわたしのご先祖の一人は、三万年ぐらい前にこの列島に辿り着き、仲間を増やしていった。
そんな大昔のことを何故お前が知っているのか、だって?
この問いには、完全なる答えをわたしは持っている。それは、わたしが今こうして存在しているからだ。わたしの遺伝子は、宇宙から飛んできた訳じゃない。
松本市内の丘の上に、わたしの岳父の墓所がある。正月を前に掃除に行ってこよう。泉下の父祖たちへの感謝をこめて、この国では普通に行われる行為だ。午後の予定は? フィンランドから取り寄せたブレードに、ハンドルを接合してある。タング末端のカシメも済ませている。少し削っておこうか。それともレザーシースの仕上げが途中で止まっている。おっと、友人たちへ贈る予定のプーッコのハンドル選びもまだだ。すごい発見を成したご先祖さま、ありがとう。すごい発明をやり遂げたご先祖さま愛してるよ。わたしは、あんたがたが人類史に打ち立てた金字塔を、その誉れ高き行為のことを忘れない。西暦2019年の終わり近くに、地球上の全人類を代表して礼を言いたい。生きるって何だろうね。ようやくそれが少しだけ解り始めたから、こんな書き方するけどね。神奈川の或る神社のお祭りのことだ。悠久のむかしに鎮座していた場所が古社として残されていて、祭礼では神輿が古社へと渡御すると聞く。かつて集団が古社のあたりに栄え、そして今の場所に移ったのだそうだ。そのことを忘れずに、毎年の「例祭という記憶装置」を働かせているのだ。ご先祖さま、忘れないよ。あんたがたは石を探したり、割ったり、工夫したりしたんだね。わたしは、フィンランドから半完成品のブレードを取り寄せるような横着をしてるけど、いつか自分で鍛造してみせる。ハンドルを工夫する以上に難しいのは解ってるけど、あんたがたへの敬意を混めて、やってみようと思う。生きるって何だろう。それは意識的な行為なのだね。受動する、待ち受ける場面もたくさんあるのだろうけれど、みずから進んで獲得していかなければならないものなのだろう。最後にもう一回だけ書く。遠い遠いご先祖さま、あんた最高。
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