2018年4月21日土曜日

爛漫の春に目醒めし邪悪なる者よ



季節の移ろいは休むこと無く、わたしのすぐ側にも爛漫の春が訪れた。悪臭番長も、冬の眠りから覚醒しているだろうか。







拙宅の庭、水仙やスズランの群落と寄り沿うように目醒めし悪臭番長、行者にんにく。近くの山の泉の畔から掘り上げてきた三つの球根が、数年を経て数十株まで増えるに至った。すべての葉を切ってしまうと二年ほどは眠りにつくと聞く。だから外側の葉を、少しだけ頂く。この写真は突っ込みどころ満載で、水仙、スズランと行者にんにくの誤食、すなわち食中毒で救急車を呼ぶための材料が揃っていることを示す。








さて、悪臭番長である。ざっと洗ってから水気を良く切る。お断りするがこれは水仙ではなく、行者にんにくである。







ぐふふふふ。生のまま醤油漬けにしておいたのである。二晩、三晩ほど冷蔵庫で休ませてある。香り立つ悪臭番長、降臨である。






この茎のところが柔らかくて美味極まる。まだ冬の間に、群落の上に籾殻を乗せておくと、陽が当たらず白く柔らかな茎が出る。それをすべて切り取って食したい、その誘惑と数年戦い続けているのだ。







コシヒカリの炊きたてめしをどんぶりに盛る。5年前なら、ジャンダルムのように高く盛ったことだろう。いまではわたしの胃袋には、これぐらいでいい。一方の岳友、工場長氏は富嶽のように、蓼科のように、いまでも盛り続けていることだろう。








行者にんにくで、一膳のめしをぺろりと平らげてしまった。その邪悪なる罠に陥ってしまったのである。

しかし、わたしのようにミドルともなれば加齢に拠る筋肉の減少が心配される。休みの朝は、たんぱく質をしっかり取りたい。肉だけを突くのも如何なものかと思案した結果、やむなく、もう一膳をどんぶりに盛る。









2018年4月15日日曜日

たらの芽を探しに


花散らしの嵐が去り、それでも小雨に降り煙る朝、春の味覚を求めて裏山に登る。

たらの樹の群落が何カ所かにあるので、新芽を頂いてこようと薮を漕ぐ。その土地その土地で採集が許されている場所は限られているので、私有地や他集落の財産区になっている里山には近づかない。

カッパ替わりにRabの"Exodus Jacket"を着てきた。この程度の雨はみんな弾いてくれる。通気性も優れているが、保温性がやたら良いジャケットなので登りが続くと汗が出る。脇のジッパーを開けてやると、とたんに快適になる。うん、良いジャケットだ。





最近伐り開かれた森の一角で、古い小鳥の営巣跡を見つけた。電柱の上のカラスの巣を見たことはあるが、自然の中で小鳥の巣を見るのは初めてかもしれない。見事な形を成しているのだなあ。





おおお、すばらしく立派なたらの芽。これは近所の山友にお裾分けしよう。

少年時代のひところ、わたしは東北のある街に住んだ。街のすぐ背後に里山が広がり、家から15分も歩けば森の中に立っていられた。幼児期を除いて東京育ちだったわたしには、魚棲む川も獣の気配がする森も、とても新鮮であった。その折々の季節の歩みの中で、昆虫や化石を探しに行き、魚を釣って生き物を飼い、森と友達になることが出来た。その手引きをしてくれた若きナチュラリストの同級生と、森の中で遊んでいた時のことだ。たまたま掴んだ灌木が刺だらけで痛い思いをした。同級生は「これはたらの樹だ、春に芽を採るんだ」と教えてくれた。春が来てふたりでたらの芽を探した。抱えきれないほどに採って帰ると、両親が歓喜して躍り上がっていた。近所や勤め先にお裾分けするとも言っていた記憶が残る。父はこれを肴に、ビールが美味そうだった。






小さな芽は採らずにおいた。採り尽くしてしまうと、枯れる樹も出てきて群落の勢いが殺がれてしまう。また、手が届かないほどに育った樹の芽も残しておく。シュリンゲを持っているので、幹に引っ掛けて手繰れば採るのは容易い。しかし大きな木の樹頂の芽を残しておくと、枝が広がってたくさんの実が成る。実が成って種をこぼせば、群落も広がる。数年後にはたくさんの新芽が採れる。こうして、森と人のちょうどいい距離感が保たれていると、恵みをいつまでも頂くことが出来るだろう。そういったことがらは、ふるく石器時代から営々と続けてきた、山や自然との関わりから学んだことだ。



帰りに寄った西の尾根の群落では、すべての芽が採り尽くされていた。手が届かないような太く高い幹は鉈ですぱっと伐られていた。すぐに出てくる二番の芽、枝から延びる芽、そして来年と、ずっと続くはずの恵みを断ち切ってしまっている。まるで焼き畑ナントヤラである。今年のそのときその日だけに得る物のために、来年の恵みなんてどうでも良いのだろう。

「枝を切るのは山の爪切り、間伐するのは山の散髪」

そう教えてくれたのはブッシュクラフトに携わる山友である。わたしは坊主頭だから散髪はバリカンで1ミリに刈るのが流儀だが、山の恵みには当てはまらない。なんだか寂しい気持ちで、里山を後にした。












2018年4月9日月曜日

そしてまた戸谷の峰に


筑摩山地、美ヶ原の北の山のひとつ、戸谷峰。松本市街地から、安曇野から、あるいは南の塩尻からも、そのどっしりとした姿が特徴的である。2018年4月8日、先々週とは異なるコース、とはいえ国道254号から隣の尾根に取り付くだけで、三才山ドライブイン前からのトレイルを歩く。こちらが「美ヶ原高原ロングトレイル」のみちである。






スタート時には小雪が舞い、冷たい風が頬を刺した。広葉樹の森の中をじぐざぐと高度を稼いでゆき、眼下に国道254号を眺めている。







そして誰も居ない山頂。前回は雪に覆われていたが、もう消えている。たった二週間という時の移ろいは、季節の刻みをかちり、かちりと動かしていた。嗚呼、無常。かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。或は春の夜の夢のごとし。

雪は止んで晴れてきたが、安曇野の彼方、常念岳と槍穂は、雪雲に隠されていた。






山頂東側の尾根の一角、ここは5月後半から6月に掛けてニリンソウの大群落が花を開かせる。山靴を置くことに躊躇いを生じるほどに、可憐な白い花が揺れる。






二週間前の雪の尾根は、陽光の下に落ち葉と地面があらわになっていた。あの雪は融けて染み込んで、やがて川を下っていくのだ。この尾根の広葉樹たちが瑞々しい葉を芽吹く日も近い。






国道254号に下山する。





稲倉(しなぐら)の橋の上から戸谷峰を振り返る。水辺の柳に芽生えが見えているが、春が山肌を駆け上がるまで、もう少しのひにちが必要なのだろう。

ここに写っている堰は、女鳥羽川本流から用水を引くためのものである。用水は、稲倉集落の中を等高線に沿うように導かれ、善光寺街道の旧岡田宿を潤している。女鳥羽川は、岡田宿付近では集落より一段低いところを流れるため、田んぼに水を引くにはこの用水が必要だった。案内板などには、堰と用水は千年の昔からあると書かれている。





三才山の村の鎮守、御射神社秋宮の境内にて。この神社の「春宮」が浅間温泉にある。春宮には、春に山から降りてきた神さまが里に鎮まられて、田んぼと稔りを守ってくださる。秋を迎え収穫が無事に済むと、田の神は山に帰る。そのお帰りを、稲藁を焼いて煙でお送りする「浅間温泉たいまつ祭り」がいまも行われている。山の神と里の神が往来する、稲作文化が育んだ祈りのかたちである。

さて、御射神社秋宮さんは「女鳥羽川水源の神」とされる。春宮が田の神を祀る以上、秋宮が水耕を支える水源の神であることに違和感は無い。秋の終わりから春先に山に積もった雪があってこそ、春の田植えが叶うのだ。先に書いた用水はすなわち豊穣の源泉であり、千年の昔から水の恵み、稲の実りをもたらしてくれる。

一方、御射(みさ)神社との呼び名は、ややこしくなるが、稲作文化伝搬以前の、ふるいふるい神さまをお祀りしている可能性がある。またしても、民俗誌の地層のおぼろな奥底から囁きかける社宮司明神の呼び声である。そうなのだ。このお宮も謎に包まれている。ここで書くと散漫になってしまうから、もう少し調べてから別項で書こう。






御神木の老杉と社殿。社叢という言葉を表すに、この佇まいがしっくり来る。






帰宅して、午後、西の丘に登る。ウイスキーの小瓶を携えている。様々な花々が咲き誇る彼方に、今朝方歩いてきた戸谷峰が見えている。山の神さまへのお礼に、花の額縁で飾ってみた。





2018年4月1日日曜日

春山の記憶


2017年4月、常念岳、一ノ沢道を日帰り。




2016年5月、霞沢岳、島々谷から入山し徳本峠テント泊、下山後は小梨平でテント二泊。





2015年5月、北穂高岳。涸沢ベースにテントで二泊し中日に北穂へ。





2015年4月、常念岳。一ノ沢道日帰り。






2014年5月、硫黄岳。麦草峠入山、黒百合平テント泊後、オーレン小屋でテント泊。翌日硫黄の山頂へ。




2013年5月、常念岳。三俣から前常念経由日帰り。






2012年5月、高い所へは行けず、扉温泉からバリルートで二ツ山、鉢伏山へ。





2011年5月、行者小屋テント泊、ウイスキー携え鎮魂の祈り。





2010年5月、南御室小屋にテント泊、翌朝に鳳凰薬師岳へ。





2009年5月、裏山の戸谷峰にて槍を眺める。






2008年5月、蝶ヶ岳。三俣から日帰り。


さてさて、今年はどんな春の山の愉しみが待っているのだろう。


春来る


春の訪れが遅い山国にも、花の便りが届き始めた。西の丘の桜の様子はどうだろうと、眺めに出かけた。

見れば、重たそうなつぼみは膨らみ切って、いまにもほころびそうである。






おおお、開いている。咲いている。平成30年3月31日、町内のソメイヨシノの開花を確認できた。




同じ日。松本市桐の辛夷も開花した。








 ■□■

わたしがこの星の上で、いち番に好きな桜の樹がある。

ふたつ隣の集落の、「塩倉山 海福寺」という古刹の観音堂の枝垂れ桜だ。塩倉池というため池の畔の、見晴らしの良い丘の上にそっと花を開かせる。


丘の上に、枝垂桜が見えてきた。花はまだのようだが....




丘の裾は果樹園で、林檎や杏などの花も楽しめるのだ。





おおお、花が開き始めている。

さきには「そっと花を開かせる」とタイプしたが、きっと一週間後、もの凄いことになっているのだろう。昨年の様子(旧blogにて)はこちら。





うつくしい、美しい枝垂桜がここにある。





観音堂の背後から、松本市街地と鉢伏山を眺めている。


そのまま小径を登ってゆけば、芥子坊主山に至る。珈琲道具を背負ってきたので、てっぺんでカフェを愉しもうではないか。



芥子坊主山の山頂に着いた。御嶽山、浅間神社、お地蔵様のほかに石祠も祀られている。この山は、古代にはたくさんの昇り窯が築かれたと聞く。信濃の国のお役所が松本に置かれた時期があり、そこへ器を供給していたのだとか。やがて器は、より高度な技術で焼かれたものが東海地方から入って来るようになると、ここの土器焼きの煙も途絶えたのだいう。





わずかに微風が流れる山頂のベンチで湯を沸かす。ガスではなく、アルコールストーブの最高傑作のひとつ、「Sanpo CF Stove」に点火する。外でちゃんと珈琲を淹れるのは久しぶりだと気付く。つい最近、山仲間のようへい君が送ってくれたポストカードがもの凄く素敵で、誘われるように支度してきたのだ。





ようへい君が送ってくれたポストカードだ。





風の音も無い。
アロマを嗅ぎながら味わいながら、時の流れも止まってしまったような静かな昼前のひとときを過ごす。芥子坊主の桜はまだだけど、こうして新しい季節に再会することが出来た。なかなか会えない山仲間たちとの再会も、きっと叶うだろう。






2018年3月31日土曜日

夢屋(やきとり、やきとん)


夢屋のNとはもう20年ぐらいの付き合いで、知り合った頃はわたしがまだ青年で、Nは少年だった。そのころは夢屋は松本駅前ではなくてすこし離れた上土(あげつち)にあった。ごく近所だったので夜更けにこっそり家を抜け出して飲みに行ったものだ。


社長のYさんは、「夢屋」を上土の小さな焼き鳥屋から育て上げ、いまでは松本駅前に何軒もの飲食店を繁盛させているビジネス・パーソンである。であるが、いまでもカウンターの中でみずから焼き鳥を焼く。このYさんは夢屋を育てると同時にNを育て上げた。厳しい修行の果てにNが身につけた「わざ」というのは凄いもので、要するに美味いのだ。




ある冬の終わりの日。雪が降って電車通勤となった。帰りは松本駅からバスである。バスであるがタクシーでも良いのだ。つまり駅前で一杯やることになったので、独り夢屋の暖簾をくぐった。待ち受けていたのは、ハイボールとねぎまである。





豚バラは塩が良い。社長のYさんが豚バラに塩を振る光景を眺めたことがあるが、それは凄まじいもので指先から気合いとともに光線を放っていた。わたしは剣客という存在に出会ったことは無いが、真剣を以ての立ち会いの際、こうした気合いを発するのだろう。それもそこいら辺の町道場のあるじとかではなく、塚原卜伝とか上泉伊勢守とか小説になってるくらいの剣客だ。おなじく、弟子のNが振った塩加減も絶妙と言わざるを得ない。塩とともに波動のようなものが肉に注がれて、その作用があるのだろう。厳しい修行というものは、人に信じられない能力を獲得させるのだ。






もう一年近く前のことだ。
長男の大豆が突然「岩魚を喰いたい」と言い出した。春山テント泊に出かけられずに悶え狂っていたわたしは、それならば岩魚を喰いにいこうと出かけることにした。

松本市内には岩魚を喰わせるところがいくつも在るが、せっかくなので電車に揺られ、バスに乗り換えて岩魚を喰うことにした。


バス停からは一時間ほど歩き、古びた小屋のような食堂で岩魚を食べたのである。写真は中学二年生の大豆である。

大豆は、上高地でもいろいろ食べていたが、松本駅に戻った時には腹が鳴っていたようである。焼き鳥でも喰わせてやろうと夢屋に寄った。




ハイボール(父)、コーク(大豆)。放置民式の「パンカイ」は既に教育してあるのだ。

目の前でY社長が肉に塩を振り、焼き上げるのを、大豆は眺めていた。その表情がだんだんとぎらついたものに変じていき、獰猛な野生動物のようになってきた。明らかに溢れ出る唾液に困惑している。じゅるっと聞こえてきそうである。身体を乗り出している。もう待てないのだ。Y社長が串を皿に載せ、芥子を添える。その皿が目の前に来ると、置かれる前に串に手が伸びた。その串を口元に持っていく。ぱくっと喰らいつく。咀嚼する時を惜しむかのように味わい飲み込む。その瞬間、14歳の大豆は、

あぐうぅぅぅ。

というくぐもった唸りを響かせた。わたしは、一本の串に神が宿ることを、この時に知った。







フィラメントというものが、やがてフロッピーディスクと同じに語られる日は近い。

ややや。信州産鹿すじ肉の煮込みとある。





うははは。味わってやる。食してやる。さあ来い。





かつて唐の国で玄奘三蔵という偉い坊さんがパラダイスを探して西へ向かったそうな。ふふふ、三蔵さんよ知らぬが仏とは言わぬが、パラダイスは信州松本駅前、夢屋のカウンターに在るのだよ。





時刻が早くてわたし独りである。週末の夜などはごった返して肩を寄せ合って呑む。早い時刻に陣取るのがよろしい。





松本駅前、昭和横町、やきとり・やきとん『夢屋』。

あなたも「あぐうぅぅ」と叫ぶような夜を、過ごしてみないか?