ラベル 季節の移ろい の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 季節の移ろい の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年11月16日土曜日

まぼろしの巨大積乱雲

その日、わたしが眺めた積乱雲


2011年7月14日19 時過ぎ、北ア表銀座の西岳テン場から写された何枚かの写真が残っている。旧blogにも書いた出来事だが、その旧が消えてなくなってしまったのを機会にここに採録しておこう。





暑い日だった。わたしは、表銀座西岳のテント場から槍を眺めていた。北鎌尾根の稜線の突起をひとつずつ数えるように、その峻険な尾根を辿る日のことを夢想していた。テント場の白い砂はまだ日中の熱を残していて、風が絶えると地面からの輻射で汗が流れた。








だんだんに槍の穂先のシルエットが濃くなってきて、北アの稜線が夜の帳に包まれようとしていた。刻一刻と移り変わる槍の風景にも飽きてきたわたしは、何となく背中の方から邪悪な視線のようなものを感じた。



誰かに覗き込まれている?
そんな気配を感じたわたしが、ゆっくりと背後の常念岳を見やった時だった。



昇ってきた月が蝶ヶ岳の上に居る。そして常念岳の山頂あたりに雲がまとわりついている、と認識した瞬間に違和感を感じた。常念山頂付近の小さな雲は槍穂の稜線の影でもう暗い。遠い空にいくつもの積乱雲、こいつらは夕照に染まって高い空に居ることを示している。その、さらに向こうに居る巨大な雲は何だ? 金床型に広がっている。オレンジ色に染まったいわゆる入道雲たちよりも遥かに遠くにあるのに、その高さたるや....。

わたしが感じた邪悪な視線の正体とは、信じがたいほどの巨大積乱雲だったのだ。





巨大積乱雲は、低い所にある雲たちが光を失ってもなお、遠く高い空で輝いていた。のみならず、いく筋もの稲妻が走り内側から輝きを放っていた。音も轟も、聞こえてこなかった。





検証、巨大積乱雲


ゲリラ豪雨なる言葉が多用され、メディアでも流れていた。あの雲の下ではもの凄い雨が降ったことだろう、そう思ったままわたしは巨大積乱雲のことを忘れ、日常に埋没していった。2015年の冬のある夜、HDDのフォルダを開いたらこの雲の写真が出てきてその宵のことを思い出していた。


まず、地図を広げたりしながら、あの雲があったのは埼玉県秩父市辺りだろうと見当をつけた。秩父市でなければ延長線上には、川越、さいたま、松戸、鎌ヶ谷あたりのどこかだ。


このアメダスのページは、その日の秩父市の1時間あたりの気象の変化を記録したデータである。>>秩父市 7月14日

午後にわずかな降水があったようだが、これか。


見つけた。15時に秩父の南西、観測点「浦山」で14ミリの降水記録がある。>>浦山 2011/07/14


いや、時間帯が違う。これより4-5時間後だ。それに14ミリでは大した雨量じゃない。すると秩父よりもっと遠くか?設定する地点を変えて、手前の信州佐久エリアから西上州、そして埼玉から東京湾岸にかけて何カ所かを調べてみた。

おかしい。豪雨と呼べるレベルの痕跡が見られない。延長線を振ったりしながらさらに調べてみた。よく報道で見かける「その日、各地の降水量、棒グラフ」を見ることができれば地点捜索は容易である。しかし降水量のランキング、という探し方が解らなかったので、各地の「1時間ごとの値」を丹念に探して回った。


解ったことは、わたしが調べた限りでは、アメダスにはゲリラ豪雨の痕跡が見られなかったということだ。





目撃者を捜す


アメダスからは何も知ることは出来なかった。しかしあれだけ大きく発達した巨大積乱雲である。たくさんの目撃者が居て、SNSその他に投稿された画像などがあるのではないか。そう考えたわたしは、まずヤマレコの投稿を探った。

平日だから山に来ている人は少ないだろう。それでも、唐松岳、燕岳、奥穂、富士などの各地からあの積乱雲が写し出されている。山座同定の要領でエリアを絞っていくとやはり秩父方面だ。いや、もう少し東側、青梅から狭山の辺りだろうか。雲がでかすぎて方向感覚がおかしくなりそうだが、東京西部、埼玉南西部の可能性が高い。時間帯はみな、日没ぐらいである。



続けて短文投稿サイトを眺めた。

キーワードは「巨大積乱雲」、日付を2011年7月14-15日の期間。すると5件の投稿がヒットした。

練馬の北の方、東京から西を見ると、西東京の方、などと呟かれている。画像を見ればわたしが北アから眺めた形の鏡写しである。間違いない。あの雲を見た人々が存在するのだ。キーワードを変えてみる。「ゲリラ豪雨」、期間を2011年7月14-15日。するとヒットはあるが「すげえ雨が降ってきたまじやばい」的な、リアルなレポートが無い。雨は降らなかったのだろうか。



ググってみた。有望な情報に出会えた。2019年11月15日現在で閲覧できる二件についてリンクを貼っておく。

  >>河合正明さんの天体写真ギャラリー(圧巻!)

  >>イラストレーサーさんのサイトの記事



やはりあの雲は、あの巨大積乱雲は確かに存在した。しかし、降った、降られたという記録がどこにも無い。情報の探し方を間違えているのかもしれないが、出会えない。出会えないでいるから、わたしの中ではあの巨大積乱雲は、やはりまぼろしなのである。







2019年5月11日土曜日

春の野に酔う


桜に続いて林檎が花を開かせると、信州は爛漫の春を迎える。夏の兆しには遠く、しかし冬の記憶も薄れかかるこの季節になると、わたしはしばしば野に出て酔い痴れる。もしかしたら季節を問わずに野に出て酔っているかもしれないが、この季節には好んでそうする。






夕方、空の下で、身一点に感じられると中原中也が歌った人間としての到達点に、わたしは遠く届かない。それでも、南に鉢伏山を眺めて足下のせせらぎを肴にモルトを呷るとき、いま人生の楽園に居ると気付かされる。





ある日、素敵な池を見つけた。裏山の一角から樹林越しに水面が見えたのだ。早速訪れてみると、野の小路の奥にひっそりとその池はあった。堤にケツを据えてモルトを嗅ぐ。ツマミは要らない。「山、嗤う」と表現される広葉樹の芽吹きのいろどりをながめているだけで、池のほとりには静かに時が流れていく。




池の奥にも小路が続いている。轍を拾ってみよう。

何度も訪れたことがある丘の上に出ることができた。数年前からベンチが置かれている。お借りしますと呟いて、モルトの続きを愉しむ。




 あああ堪らん。




ここまで来る途中の森の中には躑躅が咲いていた。





棄てられた乗用車。型式も古いものとうかがえる。

モルトを一旦ケツのポケットに納めて、さらに野から森へ、続く丘へと足を運ぶ。





ここもよく来る観音堂。拙宅の屋根も見えている。





田植えが始まろうとしている。水が張られた田圃には、今夜から蛙達が集まり出すことだろう。夕方、空の下で、身一点に蛙の合唱を聴いてみようではないか。むろん、モルトを携えて。





















2018年7月16日月曜日

酷暑炎天に干し上げろ


ある夕、梓川の土手に立つ。

北の方角、丘陵の彼方に金床雲を見た。夏至を過ぎていくらもない頃である、仕事を終えて家路に就くも、日没は遅い。真夏の入り口に立っていることに気付かされ、帰宅するやじりじりとした気持ちで梅仕事に没頭する毎日。





そんな折り、菜園のジャガイモがテントウムシダマシに集(たか)られて樹勢が衰えてきた。うむ、掘り上げよう。二十日ほど早いが、もうこれ以上は太るまい。品種みっつ、10kgぐらいずつを収穫する。





梅の実の塩漬けは、すべて終わった。もう店頭に黄熟梅が並ぶことはない。入れ替わるように県内産の赤紫蘇が出回り始めた。これを梅干し用に仕入れてくる。樽に張った水にジャバジャバと洗い、汚れを落とす。葉っぱを一枚一枚丁寧にちぎっては水気を切る。日曜の朝に赤紫蘇を洗って過ごせるしあわせをかみしめながらの、かけがえのないひと時である。





こうして季節の目盛りをひとつずつ刻みながら、わたしは梅たちと向かい合い、おのれと対峙する。梅仕事の醍醐味である。






洗って乾かした赤紫蘇の葉を計量する。次いで、目安二割の塩を用意する。その半分を紫蘇の葉に揉み込んで、灰汁を絞る。左のボウルの泡が灰汁である。







これが絞られた赤紫蘇の葉。






残りの塩を投じてまた揉み込む。揉んでは塩をまぶし込み、また絞る。二回目の灰汁を絞って棄てると、下拵えは終わり。







ここへ梅酢を注いでやる。紫色をした絞り汁が化学反応で鮮やかな紅に変じる。美しい瞬間である。





これを塩漬けした梅の実の上に乗せてやる。キャップを締める前に、この時だけはウオッカを吹いた。黴の予防を意図してのことである。



 

しばらく、十日二十日と赤紫蘇と過ごした梅は、鮮やかな紅色をまとっている。箙(えびら)に広げて太陽の恵みというものを教えてやる。恵みというが、酷暑炎天の灼熱である。梅の実の肌を炙り焼き尽くす真夏の太陽である。梅たちには気の毒だが、これで梅の実が梅干しに昇華する、たいせつなことなのだ。











2018年5月6日日曜日

ねんぼろの春、採集の日。


今年もこの季節が巡ってきた。
ねんぼろ(のびる)の玉が太ってきた頃だろう。

ねんぼろは、白い球根の部分を刻んで味噌に混ぜ込む。これをどんぶりめしに添える。今年は地元の「丸正」という味噌屋の無添加味噌を使った。

うむ、捗る捗る。日本人の「コメ離れ」みたいなことが指摘されるが、それは「ねんぼろ味噌」の普及を怠ったからであろう。




家から少し歩いた里山の森だ。春の森の恵みたちが待っている。





小径には蕗も出ている。すこし分けてもらおう。





独活。伸び過ぎてるが、茎はまだ柔らかいだろう、少し掘って帰ろう。








ねんぼろの大群落を見つけた。すごい、ここだけで一年分が採れる。スコップでごっそり掘るのではなく、群落の混んでいるところから太い茎を選んで抜き上げる。こうして間引いていくと群落はますます勢いを増し、広がる。来年再来年とたのしみは続いていく。





こういう太いのだけを選んで抜いていく。





これが抜き上げたねんぼろ。大きいね。





この日、2kgぐらいのねんぼろを採った。





玉葱と書けば大げさではあるが、大きなもので3センチ。右のボウルの小さいのは刻んで味噌に混ぜ込む。






大きなねんぼろの玉は、味噌に「漬けて」おく。あくまで主役はねんぼろ。どんな味わいを愉しめるのだろう。





独活も下拵えしよう。皮はきんぴらに、茎の柔らかいところは生のまま酢みそで味わおう。




下拵えした独活の茎。水に漬けておいたが灰汁はほとんど出ていない。食卓に酢味噌と和えて出したら、婆さまがぜんぶ平らげてしまった。




ふきのとうに始まって、たらの芽、こごみ、ぜんまい、行者にんにく、そしてこしあぶらと味わってきた信州の春の味覚である。家から歩いて出かけられるほどの里山の恵みである。ほろ苦さと甘さと、独特の香りや味わいに、この季節との再会を喜ぶ。春夏秋冬のある列島に生まれ育ったことを感謝せねばなるまい。山の神さま、ありがとう。




2018年3月25日日曜日

里山に淡雪を踏みて





お前は何故、山に行くのか?

それは、わたしが存在しているからだ。








国道254号の野間沢橋。
三才山トンネルの西側にある、標高1000mの標識が掲げられている場所だ。そういえば、僕が最初に通った小学校は池袋にあった。小学校の前の大通りが国道254号で、登下校でこれを渡ったのだ。さらに、サラリーマン時代は埼玉県富士見市の254号近くのアパートに暮らし、のちに仕事を独立して構えた事務所が、文京区本郷の254号に面した雑居ビルだった。いま、松本市平瀬橋の国道254号の終点を、毎朝通っている。わたしは、国道254号に沿って生きてきたのかもしれない。





欅の森に分け入る。野間沢右岸の斜面にジグザグと高度を稼いで行く。





日陰の溶け残った雪の上に、小狐の足跡が残されていた。拙宅前の林にも一匹が棲み着いている。里でも山でも、ちかごろは狐が増えているのだろうか。





赤松と落葉松、尾根の左右の植生が異なる。雪の上を歩けることが嬉しくて、こころが弾む。





白樺の林を行くようになると、梢の向こうにめざす本峰が見えてくる。





送電線の鉄塔をふたつ数える。三つ目で稜線のコルに出る。





稜線に乗れば、山頂へ、はじめはなだらかな尾根を、最後だけ急な斜面を登る。





1629m、山頂は貸し切り。

風もなく、遠い空に翼を鳴らすジェット機の響きが聴こえるぐらいだ。山の神さまへのお供えを差し上げ、きょう、山に来ることが出来た奇跡に感謝する。





前日、スノウシュウの人がひとり、訪れただけのようだ。






常念山脈の上に、槍穂高の稜線も見えている。穂高の南には霞沢岳、かすむ北の方には後立山のみならず、立山劔も顔を出す。





雪を融かして珈琲タイム。





よく晴れた。

わたしは、山に行くとピークや尾根の片隅やそこかしこに、たましいの欠片(かけら)を置いてくる。今眺めているあのピーク、あのコル、その向こうのカール、あの雪渓の屈曲点に置いてきたたましいの欠片が見える。その時に同行した仲間との会話だって覚えている。たとえば、鹿島槍下山中の稜線でジョリィと畑仕事の話をした。そんなこんな、北アルプスのあっちこっちに置いてきたたましいの欠片を、こうして遠くから眺めて確かめる。おのれが、あの日あの時、間違いなくあの場所に居た、ということを呼び覚ますためだ。


娘が、さきごろ小学校を卒業した。毎朝バス通りまで送るのがわたしの日課で、6年間それを続けたのだった。別れ際にわたしは言う。「うつくしい一日を」。娘はいつも笑って手を振る。卒業式近いある朝、問うた。小学校、何が一番の思い出だった? 「うん、金管バンド!」

卒業式の前の日。この日が金管バンドの最後の練習だと言う。わたしは娘に言った。「音楽室に、あなたのたましいの欠片を置いてきなさい。あなたがそこに居たんだ、という証を刻んできなさい」

いつもは笑ってかわす娘が、すこし難しい顔をした。考えているのだ。その表情のまま、娘は登校して行った。


娘は理解してくれたようだ。この音楽室にたましいの欠片を置いてきたと言う。きっと、時が過ぎてから、その欠片は君に語りかけるだろう。






山頂を後にする。春の陽射しまぶしい雪の尾根を歩く。





欅の森の女神よ。いつか巨樹に育ってくれ。





ついさっきまで締まっていた雪は、陽光と風にぬくめられて腐ってきた。雪団子を落としながら標高を下げて行く。





時は移ろう。季節も風もひかりも、なにひとつ不変のものは無い。移ろい過ぎ行き姿を変え、戸惑ういとますら与えずに流れて行く。わたしは旅をしている。旅の途中でたましいの欠片を置いてきて、そしてそれを取りに戻ったり遠くから眺めたりする。すべてが移ろい行くなかに、せめてもの瞬間瞬間の自分を刻んでいる。旅の終着駅は、わたし自身が入る墓穴だ。そのときまで、あの峰、あの尾根のそこかしこにわたしの記憶を刻んでいくのだろう。





ふたたび国道254号に降り立った。ずっと昔、この道のはるか彼方にある小学校の前を朝夕渡っていった少年が居た。





里に下りて、山の神さまにお礼を申し上げる。いま、わたし自身が存在している奇跡にも、ありがとうを呟く。





女鳥羽川の畔から、戸谷峰を振り返る。山の神さま、ありがとうございました。