新蕎麦が出回り始めてすぐの宵、蕎麦打ちの有段を目指す友人が、打ち立ての蕎麦を届けてくれた。これが三たび続き、機会を重ねるごとに味わいも高まっていくという「技の妙」も楽しむことができた。
自動の補正がかかっているが、蕎麦粉自体が淡い翡翠色を帯びた「ひすい蕎麦」である。これをやや甘みの強いつゆに合わせて手繰るのだが、薬味には山葵を用いず辛味のある大根を添える。
そんな日々の傍らを、季節が急ぎ足で駆け抜けてゆく。
稲刈りも終わり、橡の実を拾いながら歩くような散歩に過ごしていると、松本城公園での恒例のそば祭りである。
10月8日。蕎麦前酒に、地元の『善哉』を冷やで呷る。徒歩で来ているので、蕎麦をはしごしたら飲んだくれてやろう。
本命の蕎麦(後述)には長い行列ができていた。そこで第二候補の山形村『やまっち蕎麦』を選ぶ。山形村唐沢地区産のそば粉で蕎麦を打ち、これまた山形村特産、千切りにした生の長芋と味わうという趣向である。
そして予定通り、飲んだくれて帰った。帰ったら愛猫のタイガーが急な病を得て倒れていた。このことは、別の機会に書こう。
拙宅前の葡萄園での収穫も終わっている。秋は日ごとに深まり、おとずれる次の季節の気配をはらんでいる。
そんな折り、名古屋へと足を運ぶ。目的地近くの蕎麦屋で、いや蕎麦屋と書くと違和感がある。きしめん屋のほうが適切か。
とにかくこの店でも新蕎麦が振る舞われていた。更級系の繊細な香りと喉越しを愉しむ。
10月22日、嵐の宵。翡翠蕎麦の友人が、また蕎麦を打ってくれた。うん、また一段と好ましい味わいに。
そして11月4日、近所の浅間温泉の新蕎麦祭りである。松本城公園においては人気の高さゆえ頂きそびれた「みそら交流会」ブースへまっしぐら。蕎麦を「畑づくりからはじめる」というのだから、そのこだわり具合は窺い知れよう。
アルクマの野郎が変なコスプレをしてる。おい蕎麦から耳が出てるぞ!
この秋に数回、新蕎麦を打ってくれた友人のブースへも足を運ぼう。ひすい蕎麦で締める。
ある日、裏山にも雪が降ったので歩いて来ることに。入山辺・三城牧場までカブを駆り、軽いハイクと眺望を楽しむ。
近所の公園に舞い落ちる葉を踏む。
今年最後の新蕎麦祭りは旧奈川村にて。野麦峠のふもと、乗鞍と鉢盛にはさまれた山村である。11月19日、『とうじそば』と『奈川在来』を目当てに山道を拾って来た。
いまや珍しい光景にすら思える公衆電話。
粉雪舞う寒い一日であった。鶏ひき肉と茸、山菜を煮込んだ熱いつゆでいただく『とうじそば』の味わいやいかに。
うむ。美味いものである。このつゆに、締めにはご飯を入れて食べたかった。帰路、同行者にそう話したら「みんな食べてたよ」という。なぜ教えてくれなかった。
ひと風呂浴びて後、もうひとつの目的である『奈川在来』を手繰る。品種改良が進む蕎麦の原型とも言える在来種がこの奈川の山間地に継承されており、この品種を頑なまでに守り続けているのだと聞く。収量がわずかで流通も限られている在来は、短期間、奈川の新蕎麦祭りで味わうことができるのだ。
これである。甘皮を挽き込んでいるのか、薮系の黒っぽい蕎麦である。野武士の風貌を思わせるような荒削りの味わいの中に、蕎麦本来の香りの強さ、素朴さが持ち味である。美味いものである。
放ったらかしにしておいたblogの引っ越しは、ようやく緒に就いたところ。気がつけば、今年もあとひと月である。