2019年8月25日日曜日

常念 病み上がりの青空に


不覚を取って、真夏を十日ほど病室で過ごした。前半は絶食であった。退院時、点滴の針が外された腕にも、見おろす両の脚にも、筋肉の盛り上がりはなかった。振り返ってみれば、春先のぎっくり腰、続く事故による手術とリハビリの日々、そしてこの入院で体力はすっかり衰えてしまい食欲もない。

これを見かねて友人のスズキサトルくんがわたしを山に連れ出してくれた。




夏が終わりに近づいていた。秋の気配が忍び寄る未明の一ノ沢補導所を後にする。大滝ベンチで暁の空を見上げれば上弦の月が高かった。iPhoneのカメラでは満月のように写っている。今日は、晴れだ。




笠原付近で稜線の朝を眺める。




横通方向からの本流を仰ぎ、小尾根に乗る。果たして乗越まで這い上がれるだろうか。






一歩一歩、ゾンビのようにのろのろと脚を前に出して、ようやくここまで来た。サトルくんは気を遣って、ここで珈琲を飲んで帰っても良いと言ってくれる。しかしそれでは去年の春と同じことになってしまう。
 


 
あそこまで行けるだろうか。あと400mあるのだ。垂直で考えると。




まずは湯を沸かし珈琲を淹れてアロマを愉しむ。なにこれ稜線の珈琲は美味すぎる。




たっぷり休んでから、這い上がってきた。てっぺんに立つのは東北から来たソロの青年。

槍穂はガスに巻かれていた。少しの間、涸沢を覗き込んだり写真を撮り合ったりして過ごす。和やかな山頂のひととき。




下りがまた辛い。腸脛靭帯がちゃんとスタビライザーの仕事をしてくれないのだ。加えて着地の衝撃で膝回りの他の筋肉も腱も笑いはじめて、よろよろと転がるように乗越まで降りてきた。




駄目だねこりゃ。身体を作り直さねば。そう言って休んでいると、わたしを励ますかのようにお槍さまが穂先を見せてくれた。余談だが「お槍さま」とは2006年の春からわたしが使い始めた言葉であるが、この日おおくのハイカー達が「おお、お槍さま!」と口にしていた。いつの間にか....





さて稜線に別れを告げよう。正直、ラマかスーパーピューマにでも迎えに来てほしいと感じるほど脚が重い。ぐぬぬと呻きながら樹林帯を降る。ぼやきばかりでサトルくんには申し訳なかった。






胸付八丁から安曇野を眺める。入院中に体重が10キロ近く落ちていたから、身体は軽かったのだ。なのに脚は重い。山に来たのは久しぶりである。足首から腰回りにかけてのぜんぶの筋肉たちが怒って騒いでいる。




烏帽子沢にて。プーッコは、わたしにとって山の道具なのだ。





山ノ神が遠かった。ポケットの小銭を全部、一枚も残さずに賽銭箱に放り込む。山の神さまありがとうございます。ここまで来れば舗装路は近い。




補導所を過ぎて、ようやく凹凸から解放された。駐車場まで我慢すれば助手席が待っている。





山の神さまへの感謝もあって、帰路の湯浴は「湯多里 山の神」。アルカリの湯で両脚の靭帯と筋肉をほぐしてやる。それでも、この夜からは筋肉痛で呻きが絶えなかった。





用事があるというサトルくんが近所で降ろしてくれた場所が、馴染みの店の前だった。暖簾を潜ってカウンターの椅子を引く。大将に「今日あるネタを、全部」と頼んだのだが、「何日も絶食してたような胃袋でそんなに喰えるか‼」と一喝されて、ささやかな独り打ち上げを楽しんだ。何杯か飲むと、さすがに眠くなってきた。ご馳走さま、帰ります。ザックを背負い、坂道を上って家に着くと布団へ直行。たぶん十秒後には鼾が出ていたことだろう。





翌朝になってハンワグの山靴を洗う。むかし山会の先輩から「山靴を洗って干すまでが山行だ」としつけられた筈である。まあ病み上がりということで、許していただこうではないか。






2019年8月19日月曜日

プーッコのシースを作る



せがれの誕生日に贈ったプーッコ、そしてわたしのプーッコが仮の鞘に収まったままなので、シースを作る。左奥がせがれのプーッコ。となりがわたしの一本。木漏れ日の下で撮ってみた。




シースの構造、作り方には幾つかのメソッドがあるようだが、そのままなぞれば良い日本語のチュートリアルがあるわけではない。海外のプーッコメーカーが公開している映像を眺めながら作業のコツを押さえ、わたしにでも再現可能な方法を探ってみたい。なおわたしには、レザークラフトの経験は無い。





インナーシースを作る。9ミリ厚の木製品があったのでばらして素材に失敬する。ブレードの形、厚みを実物合わせしながらくりぬいて貼り合わせたもの。くりぬきは彫刻刀とヘレ。同じブレードで今後十数本作る予定があるので、サンプルをひとつ残しておく。開口部の斜面の重要性に、後から気づく。



形状に迷いがあった。海外の完成シースを見ると、革越しにインナーの稜線を見せている。わたしが作ったこの2本はころっとした丸みが持ち味と考えている。ならばシースのフォルムも丸っこくていい。



ベルトサンダーで滑らかに仕上げた。ブレードが入る穴が見えているが、ここの端面は斜めに削っておかないとポイント(切っ先)が引っ掛かる。作ってみないと得られない知見というものが多い。





  
手鍋に昆布を浸して、ではない。ウェットフォーミングである。お湯に浸した革を成型することで、インナーシースを抱き込んだ一種の立体形状にするのだ。映像で見ているとフィンランドへのOsmoさんはいとも容易くシースを作るが、わたしにもできるだろうか。






ラップ巻きのプーッコ。濡れたレザーにくるむため、ブレードを錆びさせない予防措置である。念のためアマニ油もひと塗りしてある。




レザーをがしがしっと掴んで引っ張って寄せて、弛みをなくして仮固定する。このときの絞り具合が最終的なホールド感を左右するようだ。ホールドが甘かったときの処置もOsmo先生の動画から学んだ。




穴明には、通常レザークラフトでは菱目打ちという専用工具を用いるようだが、Osmo先生は千枚通しを使う。北欧のプーッコ職人さんたちも同様で、そのサイトやHow to映像を覗くと、「爺さんの代から使っている千枚通しだ」とか「俺は三本の千枚通しを巧みに使い分けるのさ」といったこだわりがあるようだ。わたしのは百均のものなのでせめて研磨して焼き入れを施しておこう。しかしこれでも穴明はしんどい。




縫い上げている最中はぼやきが出るばかりで写真がない。形にして革紐と鹿の角根を着けた様子がこちら。揃えたはずの縫い目がぐだぐだである。革の染めとオイリング、そしてコバの磨きは施していない。




いやはや、レザーへの穴明けが肝である。誰かドリルを使っている映像があったが、解らぬでもない。わたしのプーッコではドリルを使おうか。




これでせがれへの義理も果たせた。

続けて自分用のシースに取り掛かろう。染色と色止め、オイルの仕上げは二本まとめてだ。





そうそう、鹿の角根のカット風景。こういうパーツには心踊らされるものがある。革紐の末端に根付けのようにくくりつけてある。少年時代、トンネル工事の現場で輝いていた化石、畑で拾った黒曜石の矢じり、あるいは裏山で偶然手にした鹿の角。上手く言えない、日常から一歩離れた向こう側にある何か。その出会いや発見を「冒険」と呼ぶモノ、コトたち。この鹿の角のパーツは、冒険を予感させる鍵だ。掌で感じて、未知への旅を思い描くがいい。


    


わたしのシース縫いの様子。ベルトループはD環で取り付けた。やはりぐだぐだの縫い目である。




コバ磨きにウイスキーボトルが使えるか? 専用の道具があった方がよろしいようだ。

この後、クラフト社の染料で色付けし、マットの色止めを施した。仕上げにミツロウを塗りたくって磨くと、百年ぐらい使い込んだ風情となった。面白いものだ。