2018年4月29日日曜日

槍を眺めに一ノ沢みち





そうだ。常念岳一ノ沢の林道が開通している。雪にまみれに、出かけてこよう。

平成30年4月29日、まだ夜明け前。カブを駆って真っ暗な安曇野を駆け抜け、烏川左岸の道を走る。






満月に近い月齢が、黒沢山近くの稜線に沈む。





一ノ沢の補導所で計画書を提出。遭難対策協議会の顔見知りの人が居た。山関係者の近況や消息について話す。話は当然、昨年他界された『常念の大将』こと山田の恒さんのことに及ぶ。恒さん、お世話になりました。もうひとり、わたしの大先輩がひとり、鬼籍に入ったと聞かされる。





山の神通過。




常念に、朝が来た。




笠原の様子。おどろいたことに、残雪の量が例年の6月中旬ぐらいと同じ。笠原手前でも夏道が出ており、わたしが「常念山脈の雪捨て場」と呼んでいる場所でGWに水流を見るとは。





それでも雪渓に入ると気分も高揚する。ずんずん高度を稼いで行く。





振り返ると、浅間山や滝山山塊が春霞の上に見えてくる。





さて。ここからだ。
毎年、来たことを後悔する場所だ。アイフォーンをポケットに仕舞って、ジッパーを閉じる。サレワの12本爪クランポンを履き、ストックをアックスに換える。南無八幡、とかそれらしい言葉を呟いておかないと、この先は呪詛の言葉、汚い言葉が出てしまう。

結局、この登りで一時間半も掛かってしまい、山頂を踏む時間がなくなってしまった。





最後は汚い言葉が英語のスラングになったりPistolsの歌詞になったりする。その先に見えてくる赤い屋根の上には、北穂とキレットと、お槍さま。田淵行男さんが絶賛した雪型『中岳の舞姫』も、桜で例えるなら五分咲きぐらいか。

わたしは日帰りで山に出かけてくると、午前11時11分をもって引き返すことにしている。このとき既に10時半近かったため、山頂に向かうと時間切れになる。つまらない決まり事ながら、おおむねこれを守ってきた。肩まで上がって吊り尾根だけ眺めて帰ろうか、反対側の横通岳中腹から眺めようか、などとアイディアもあったが、ならばいっそここでお槍さまを眺めて珈琲を愉しもうと決めた。ガスにケトルを乗せ、フィルターをセットする。






空腹だったので、大福を取り出す。お供えしたあと頂くのだが、戯れに槍の穂先で刺してみた。





今度はキレットの窪みにはめ込んでみた。むしゃむしゃむしゃ、うめえぇ。






ケトルがちんちん言い出したので、珈琲粉を開封しフィルターにあける。そこへお湯を丁寧に載せながら蒸らしをやる。くんかくんか嗅いでみてアロマを確かめる。そしてドリップ。台所と違ってお湯を最後まで落とす。灰汁が少し混じるが、これも山での珈琲の持ち味だ。






いただきます。
一杯の珈琲を味わうためだけに、雪渓を詰めてきたのだ。飽きるほど訪れている山頂は、また飽きるほど踏みに来れば良い。あす、また訪れても良いではないか。そう割り切れば、一杯の珈琲がとてつもない価値を持つことに気付いた。なんと贅沢なアロマだ。クリームもシュガーも無い。だが槍と北穂と舞姫が居る。穏やかな稜線の微風に香りが広がる。ビスケットがとても甘く感じられる。ここは北アルプスだ。




黒々と、聖なる穂先。





中岳の舞姫。もうすぐ「見頃」かな。





北穂の春、あの雪の斜面を這い上がって怖い思いしたな。





山頂に向かうハイカーたちの背中が見える。うん、今度来よう。明日来たっていいんだ。





安曇野に向かってダイブするような感覚で、この谷へ降りて行く。雪はだいぶ腐ってきた。クランポンはもう効かない。ただしスリップしたらいけないから、アックスはきちんと刺しながら下ろう。午前11時丁度、ふたたび雪とまみれる。





一気に笠原まで降りてきた。





気温は高い。朝に見かけた雪が消えていたり。山よさらば。





前を歩いていた二組が、どちらも山の神でぺこりと頭を下げたり、柏手じゃないけど手を合わせたりしていた。これが、この国に住むひとたちのメンタリティなのだ。






一ノ沢補導所到着。なんと、乗越から2時間と少し。





春を眺めて駐車場までの時間を楽しむ。





安曇野では田植えが間近だ。この水は、お山の雪解け水だ。山の神さまがくれた水で、米を作る。田んぼが一番水を欲しがる時に、お山の雪が融けるなんて、この列島の春夏秋冬は実にすばらしい。山の神さま、ありがとう。







2018年4月21日土曜日

爛漫の春に目醒めし邪悪なる者よ



季節の移ろいは休むこと無く、わたしのすぐ側にも爛漫の春が訪れた。悪臭番長も、冬の眠りから覚醒しているだろうか。







拙宅の庭、水仙やスズランの群落と寄り沿うように目醒めし悪臭番長、行者にんにく。近くの山の泉の畔から掘り上げてきた三つの球根が、数年を経て数十株まで増えるに至った。すべての葉を切ってしまうと二年ほどは眠りにつくと聞く。だから外側の葉を、少しだけ頂く。この写真は突っ込みどころ満載で、水仙、スズランと行者にんにくの誤食、すなわち食中毒で救急車を呼ぶための材料が揃っていることを示す。








さて、悪臭番長である。ざっと洗ってから水気を良く切る。お断りするがこれは水仙ではなく、行者にんにくである。







ぐふふふふ。生のまま醤油漬けにしておいたのである。二晩、三晩ほど冷蔵庫で休ませてある。香り立つ悪臭番長、降臨である。






この茎のところが柔らかくて美味極まる。まだ冬の間に、群落の上に籾殻を乗せておくと、陽が当たらず白く柔らかな茎が出る。それをすべて切り取って食したい、その誘惑と数年戦い続けているのだ。







コシヒカリの炊きたてめしをどんぶりに盛る。5年前なら、ジャンダルムのように高く盛ったことだろう。いまではわたしの胃袋には、これぐらいでいい。一方の岳友、工場長氏は富嶽のように、蓼科のように、いまでも盛り続けていることだろう。








行者にんにくで、一膳のめしをぺろりと平らげてしまった。その邪悪なる罠に陥ってしまったのである。

しかし、わたしのようにミドルともなれば加齢に拠る筋肉の減少が心配される。休みの朝は、たんぱく質をしっかり取りたい。肉だけを突くのも如何なものかと思案した結果、やむなく、もう一膳をどんぶりに盛る。









2018年4月15日日曜日

たらの芽を探しに


花散らしの嵐が去り、それでも小雨に降り煙る朝、春の味覚を求めて裏山に登る。

たらの樹の群落が何カ所かにあるので、新芽を頂いてこようと薮を漕ぐ。その土地その土地で採集が許されている場所は限られているので、私有地や他集落の財産区になっている里山には近づかない。

カッパ替わりにRabの"Exodus Jacket"を着てきた。この程度の雨はみんな弾いてくれる。通気性も優れているが、保温性がやたら良いジャケットなので登りが続くと汗が出る。脇のジッパーを開けてやると、とたんに快適になる。うん、良いジャケットだ。





最近伐り開かれた森の一角で、古い小鳥の営巣跡を見つけた。電柱の上のカラスの巣を見たことはあるが、自然の中で小鳥の巣を見るのは初めてかもしれない。見事な形を成しているのだなあ。





おおお、すばらしく立派なたらの芽。これは近所の山友にお裾分けしよう。

少年時代のひところ、わたしは東北のある街に住んだ。街のすぐ背後に里山が広がり、家から15分も歩けば森の中に立っていられた。幼児期を除いて東京育ちだったわたしには、魚棲む川も獣の気配がする森も、とても新鮮であった。その折々の季節の歩みの中で、昆虫や化石を探しに行き、魚を釣って生き物を飼い、森と友達になることが出来た。その手引きをしてくれた若きナチュラリストの同級生と、森の中で遊んでいた時のことだ。たまたま掴んだ灌木が刺だらけで痛い思いをした。同級生は「これはたらの樹だ、春に芽を採るんだ」と教えてくれた。春が来てふたりでたらの芽を探した。抱えきれないほどに採って帰ると、両親が歓喜して躍り上がっていた。近所や勤め先にお裾分けするとも言っていた記憶が残る。父はこれを肴に、ビールが美味そうだった。






小さな芽は採らずにおいた。採り尽くしてしまうと、枯れる樹も出てきて群落の勢いが殺がれてしまう。また、手が届かないほどに育った樹の芽も残しておく。シュリンゲを持っているので、幹に引っ掛けて手繰れば採るのは容易い。しかし大きな木の樹頂の芽を残しておくと、枝が広がってたくさんの実が成る。実が成って種をこぼせば、群落も広がる。数年後にはたくさんの新芽が採れる。こうして、森と人のちょうどいい距離感が保たれていると、恵みをいつまでも頂くことが出来るだろう。そういったことがらは、ふるく石器時代から営々と続けてきた、山や自然との関わりから学んだことだ。



帰りに寄った西の尾根の群落では、すべての芽が採り尽くされていた。手が届かないような太く高い幹は鉈ですぱっと伐られていた。すぐに出てくる二番の芽、枝から延びる芽、そして来年と、ずっと続くはずの恵みを断ち切ってしまっている。まるで焼き畑ナントヤラである。今年のそのときその日だけに得る物のために、来年の恵みなんてどうでも良いのだろう。

「枝を切るのは山の爪切り、間伐するのは山の散髪」

そう教えてくれたのはブッシュクラフトに携わる山友である。わたしは坊主頭だから散髪はバリカンで1ミリに刈るのが流儀だが、山の恵みには当てはまらない。なんだか寂しい気持ちで、里山を後にした。












2018年4月9日月曜日

そしてまた戸谷の峰に


筑摩山地、美ヶ原の北の山のひとつ、戸谷峰。松本市街地から、安曇野から、あるいは南の塩尻からも、そのどっしりとした姿が特徴的である。2018年4月8日、先々週とは異なるコース、とはいえ国道254号から隣の尾根に取り付くだけで、三才山ドライブイン前からのトレイルを歩く。こちらが「美ヶ原高原ロングトレイル」のみちである。






スタート時には小雪が舞い、冷たい風が頬を刺した。広葉樹の森の中をじぐざぐと高度を稼いでゆき、眼下に国道254号を眺めている。







そして誰も居ない山頂。前回は雪に覆われていたが、もう消えている。たった二週間という時の移ろいは、季節の刻みをかちり、かちりと動かしていた。嗚呼、無常。かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。或は春の夜の夢のごとし。

雪は止んで晴れてきたが、安曇野の彼方、常念岳と槍穂は、雪雲に隠されていた。






山頂東側の尾根の一角、ここは5月後半から6月に掛けてニリンソウの大群落が花を開かせる。山靴を置くことに躊躇いを生じるほどに、可憐な白い花が揺れる。






二週間前の雪の尾根は、陽光の下に落ち葉と地面があらわになっていた。あの雪は融けて染み込んで、やがて川を下っていくのだ。この尾根の広葉樹たちが瑞々しい葉を芽吹く日も近い。






国道254号に下山する。





稲倉(しなぐら)の橋の上から戸谷峰を振り返る。水辺の柳に芽生えが見えているが、春が山肌を駆け上がるまで、もう少しのひにちが必要なのだろう。

ここに写っている堰は、女鳥羽川本流から用水を引くためのものである。用水は、稲倉集落の中を等高線に沿うように導かれ、善光寺街道の旧岡田宿を潤している。女鳥羽川は、岡田宿付近では集落より一段低いところを流れるため、田んぼに水を引くにはこの用水が必要だった。案内板などには、堰と用水は千年の昔からあると書かれている。





三才山の村の鎮守、御射神社秋宮の境内にて。この神社の「春宮」が浅間温泉にある。春宮には、春に山から降りてきた神さまが里に鎮まられて、田んぼと稔りを守ってくださる。秋を迎え収穫が無事に済むと、田の神は山に帰る。そのお帰りを、稲藁を焼いて煙でお送りする「浅間温泉たいまつ祭り」がいまも行われている。山の神と里の神が往来する、稲作文化が育んだ祈りのかたちである。

さて、御射神社秋宮さんは「女鳥羽川水源の神」とされる。春宮が田の神を祀る以上、秋宮が水耕を支える水源の神であることに違和感は無い。秋の終わりから春先に山に積もった雪があってこそ、春の田植えが叶うのだ。先に書いた用水はすなわち豊穣の源泉であり、千年の昔から水の恵み、稲の実りをもたらしてくれる。

一方、御射(みさ)神社との呼び名は、ややこしくなるが、稲作文化伝搬以前の、ふるいふるい神さまをお祀りしている可能性がある。またしても、民俗誌の地層のおぼろな奥底から囁きかける社宮司明神の呼び声である。そうなのだ。このお宮も謎に包まれている。ここで書くと散漫になってしまうから、もう少し調べてから別項で書こう。






御神木の老杉と社殿。社叢という言葉を表すに、この佇まいがしっくり来る。






帰宅して、午後、西の丘に登る。ウイスキーの小瓶を携えている。様々な花々が咲き誇る彼方に、今朝方歩いてきた戸谷峰が見えている。山の神さまへのお礼に、花の額縁で飾ってみた。





2018年4月1日日曜日

春山の記憶


2017年4月、常念岳、一ノ沢道を日帰り。




2016年5月、霞沢岳、島々谷から入山し徳本峠テント泊、下山後は小梨平でテント二泊。





2015年5月、北穂高岳。涸沢ベースにテントで二泊し中日に北穂へ。





2015年4月、常念岳。一ノ沢道日帰り。






2014年5月、硫黄岳。麦草峠入山、黒百合平テント泊後、オーレン小屋でテント泊。翌日硫黄の山頂へ。




2013年5月、常念岳。三俣から前常念経由日帰り。






2012年5月、高い所へは行けず、扉温泉からバリルートで二ツ山、鉢伏山へ。





2011年5月、行者小屋テント泊、ウイスキー携え鎮魂の祈り。





2010年5月、南御室小屋にテント泊、翌朝に鳳凰薬師岳へ。





2009年5月、裏山の戸谷峰にて槍を眺める。






2008年5月、蝶ヶ岳。三俣から日帰り。


さてさて、今年はどんな春の山の愉しみが待っているのだろう。