2017年12月9日土曜日

星になったタイガー

タイガーは悪いねこで、よくわたしの弁当を盗んだ。








造形の神から見放されたようなねこだった。理由は、神さまが最後にお創りになったねこだからだ。きじ、茶虎、黒、白、そんな猫の毛皮の最後の余りばかりをちくちくと貼り合わせて、この世にお遣わしになったのだ。

そんな哀れなねこだったが、あるときからこころを入れ替えて、弁当を盗まなくなった。




おまえはいいねこだ、そう言ってやると喜んだ。




帰宅して新聞を読もうとすると、邪魔をした。




とても愛らしいねこだった。





ある日、わたしが呑んだくれて帰ると、様子が変だった。毒を呑んだらしい。これは存命中の最後の一枚。前足を痙攣させている。





そのまま入院するも手の施しようがなかったようだ。獣医から迎えに来るように電話があったので、わたしは庭の梅の木の傍らに墓穴を掘った。



穏やかで安らかな死に顔だった。



せがれとふたりで、埋葬した。

「タイガー、お星さまになっちゃった」わたしがそう言うと、倅はこう言い返した。
「お星さまって云うより、この星の一部だね」彼は皮肉屋なのだ。

そっと土の下に安置し、煮干しとまたたびを撒いた。土を被せて、ペットボトルの水を置いた。嵐が来てもボトルは倒れなかった。もう三ヶ月近くなるが、ボトルはタイガーの上に立ったままだ。






2017年12月3日日曜日

美ヶ原散歩

初冬の半日を美ヶ原に遊ぶ。

松本市街地からから美ヶ原を眺めたら、新雪をまとって砂糖菓子みたいだ。遊びに行こう。





11月5日、裏山の美ヶ原へ。雪をまとった槍穂の連なりを眺めたくて。ほんとのこと書くと、この週末に八ヶ岳方面で雪遊びしている仲間たちが羨ましくて我慢できなくて。




わたしは八ヶ岳に行けなかったので、歯ぎしりして反対側の劔なんかを眺めている。美ヶ原から劔が見える、って云うと少しびっくりされるけど、蓮華の右肩に見えているのがそれ。中央のとんがりは針ノ木、左は立山。






三城牧場の脇から小径を拾っていく。秋の終わり、それは冬のはじまり。




猟友会のハンターたちが大勢そろって狩りの支度をしていた。ニホンジカを撃つんだろう。わたしはこの朝、全身黒づくめで山に来てしまった。ツキノワグマかニホンカモシカと間違えて撃たれないだろうか。少し困ったぞ。




空は、冬の色を映してる。







いまは無人の小屋。御嶽講の関係と聞いたが....。






こう書くと違和感があるかもしれないが、このトレイルは『長野県道283号美ヶ原公園線』だ。 








前の日の雪が、落葉松の梢に残っている。山靴で、新雪を蹴飛ばしながらのぼっていく。遠くに南アルプス。




とても静かだった。この朝、この道を登って来るのはわたしが初めてで、新雪の上にはトレースがなかった。それでも王ヶ頭直下までくると人の気配を感じる。そりゃあ県道だもんな。





王ヶ頭では最初だけ八ヶ岳を眺め、くやしくて「ちぇっ」と呟いた。

それからハイカーで賑やかな王ヶ鼻まで足を伸ばして、槍穂を眺める。一時間ぐらい、わたしは西を眺めていた。いくつものピークや、それぞれの稜線のそこかしこに、かつて魂のかけらを置いて来た。それをひとつずつ確かめて過ごしたのだ。





まだ正午だというのに、森の中にのびる影の長さよ。

鹿撃ちの銃声が響く中を、わたしはちびりそうな思いで下っていった。一発、あまりに近くで、轟いた。しばらく身をすくめていると、鈴を鳴らして色鮮やかなウエアに身を包んだ二人組。しめしめ、先行してもらって後ろに付く。お陰で無事に林道まで降りて来ることができた。





三城の牧場で、ハンターのひとりが牛と話し込んでる。その背中は、牧牛に説教してるようにしか見えなかった。








酢を喰らへ。酸を吐け。


その男、かく在りたしと願う生き方は、「酸性に生きる」ということである。

考えてもみたまえ。アルカリ性の男というのは、如何なものであろうか。




同じことを数年前にも書いた。書いたが信条は変わらぬのでまた書く。男は酸性でなければならない。酸性に生きるためには、酢を喰らわねばならぬ。




小鯵の新鮮なやつが売り場に並んでいた。金沢港直送とある。




鯵のサイズが中型ぐらいに見えるかもしれぬが、フライパンが20cmの小さいやつなのだ。




片栗粉をまぶして10分近く揚げる。油の中で時折返しながら、料理箸に触れる「さくり」という感触を探っている。




カットした人参、玉葱、ピーマン、青唐辛子などと漬け込む。漬け汁に、黒酢、米酢、さらに梅酢をブレンドし、出汁で割って注ぐ。甘みは砂糖をほんの少々。市販のらっきょう酢のようにべたべたと甘すぎる味は、好まない。酸性の男は、酢を甘くしないのである。




その男の包丁による小鯵南蛮である。ふた晩ぐらい漬けたあたりから、味わいというものは深まってくるのだ。

これでしばらくの間は、思う存分に酸を吐けるだろう。




 


2017年11月27日月曜日

その男、新蕎麦に誘われて

平成29年。この秋も、美味なる蕎麦たちとの出会いがあった。



新蕎麦が出回り始めてすぐの宵、蕎麦打ちの有段を目指す友人が、打ち立ての蕎麦を届けてくれた。これが三たび続き、機会を重ねるごとに味わいも高まっていくという「技の妙」も楽しむことができた。


自動の補正がかかっているが、蕎麦粉自体が淡い翡翠色を帯びた「ひすい蕎麦」である。これをやや甘みの強いつゆに合わせて手繰るのだが、薬味には山葵を用いず辛味のある大根を添える。




そんな日々の傍らを、季節が急ぎ足で駆け抜けてゆく。


稲刈りも終わり、橡の実を拾いながら歩くような散歩に過ごしていると、松本城公園での恒例のそば祭りである。


10月8日。蕎麦前酒に、地元の『善哉』を冷やで呷る。徒歩で来ているので、蕎麦をはしごしたら飲んだくれてやろう。


本命の蕎麦(後述)には長い行列ができていた。そこで第二候補の山形村『やまっち蕎麦』を選ぶ。山形村唐沢地区産のそば粉で蕎麦を打ち、これまた山形村特産、千切りにした生の長芋と味わうという趣向である。


そして予定通り、飲んだくれて帰った。帰ったら愛猫のタイガーが急な病を得て倒れていた。このことは、別の機会に書こう。



拙宅前の葡萄園での収穫も終わっている。秋は日ごとに深まり、おとずれる次の季節の気配をはらんでいる。



そんな折り、名古屋へと足を運ぶ。目的地近くの蕎麦屋で、いや蕎麦屋と書くと違和感がある。きしめん屋のほうが適切か。


とにかくこの店でも新蕎麦が振る舞われていた。更級系の繊細な香りと喉越しを愉しむ。



10月22日、嵐の宵。翡翠蕎麦の友人が、また蕎麦を打ってくれた。うん、また一段と好ましい味わいに。


第一回松本マラソンのスタート地点となった公園にも、深まる秋。



そして11月4日、近所の浅間温泉の新蕎麦祭りである。松本城公園においては人気の高さゆえ頂きそびれた「みそら交流会」ブースへまっしぐら。蕎麦を「畑づくりからはじめる」というのだから、そのこだわり具合は窺い知れよう。


これである。これ。我が人生で出会った蕎麦のベストオブザベスト。やはりこの味わい、比べうる蕎麦なく、至高の極み。


アルクマの野郎が変なコスプレをしてる。おい蕎麦から耳が出てるぞ!


この秋に数回、新蕎麦を打ってくれた友人のブースへも足を運ぼう。ひすい蕎麦で締める。




ある日、裏山にも雪が降ったので歩いて来ることに。入山辺・三城牧場までカブを駆り、軽いハイクと眺望を楽しむ。



この日のことも、別な機会に書こう。


近所の公園に舞い落ちる葉を踏む。



今年最後の新蕎麦祭りは旧奈川村にて。野麦峠のふもと、乗鞍と鉢盛にはさまれた山村である。11月19日、『とうじそば』と『奈川在来』を目当てに山道を拾って来た。


いまや珍しい光景にすら思える公衆電話。


粉雪舞う寒い一日であった。鶏ひき肉と茸、山菜を煮込んだ熱いつゆでいただく『とうじそば』の味わいやいかに。


うむ。美味いものである。このつゆに、締めにはご飯を入れて食べたかった。帰路、同行者にそう話したら「みんな食べてたよ」という。なぜ教えてくれなかった。


ひと風呂浴びて後、もうひとつの目的である『奈川在来』を手繰る。品種改良が進む蕎麦の原型とも言える在来種がこの奈川の山間地に継承されており、この品種を頑なまでに守り続けているのだと聞く。収量がわずかで流通も限られている在来は、短期間、奈川の新蕎麦祭りで味わうことができるのだ。


これである。甘皮を挽き込んでいるのか、薮系の黒っぽい蕎麦である。野武士の風貌を思わせるような荒削りの味わいの中に、蕎麦本来の香りの強さ、素朴さが持ち味である。美味いものである。


放ったらかしにしておいたblogの引っ越しは、ようやく緒に就いたところ。気がつけば、今年もあとひと月である。