2019年2月23日土曜日

きのこを煮る夜


きのこという邪悪な奴らが居る。

普段は鍋に放り込んだり、バター醤油で酒のアテにしている。邪悪なものは美味なのである。先夜、街へ飲みに出て友人の店で喰わせてもらったのがこいつらのオイル煮で、その味わいは非常に好ましかった。さっそく真似して、冷蔵庫にストックしておくのだ。





オイル、にんにく、鷹の爪。この三つを温めだすと、二階で反逆のrockを聴いているか、あるいは重低音のギターサウンドを弾いている坊主がキッチンに飛び込んでくる。親父、それを喰わせろと。

この夜もそうだった。



しかし坊主は、せがれは、きのこを憎んでいる。決して食べようとしない。涙目で「オイルを舐めさせてくれ」と懇願してパンに塗っていた。




わたしは、五種類のきのこを用意していた。大きめにカットして空煎りする。このひと手間で七倍美味くなる。





七倍である。二倍三倍ではないのだ。





にんにくはゆっくりと温める。




空煎りしたきのこに、オイルを少し取って、そっと振りかける。





このあたりで階段がどすどすと鳴る。





炒め終えたきのこ達に、熱せられたオイルが注がれる。邪悪なる奴らが、極悪なるものに昇華する瞬間である。





熱いまま、はふはふとむさぼり喰らうのも佳し。スパゲッティを茹でて合わせるも佳し。そしてこのような味わい方も、またよろしい。






鯖の水煮を皿にあける。煮汁はこっそり飲んでしまう。皿は電子レンジへ。水煮を温めるのだ。そこへ、チリチリと音を立てるまで熱くしたオイルきのこを添える。葱を刻んだりバジルソースを掛けたり、アレンジは自在である。








2019年2月9日土曜日

豚骨と社宮司明神に会いに。

雪の休日、昼を迎えて「寿司屋のカウンターで、一杯」と靴を履く。寿司屋とは近所の『松本 江戸銀』で、わたしはここの大将がつくる玉子焼きに惚れ込んでいる。


江戸銀へと向かう坂道を下りながら、わたしの酒毒に蝕まれた大脳が「早く飲ませろ」と囁いてくる。がらり、こんちはー、ぎいっ(椅子を引く)、そこから冷えた地酒が出てきてキャップをひねり、盃を満たして口許に運ぶまでの時間が、とても長いものに感じられそうだった。むむむ、思えば済ませておきたいこともある、まだ飲むには早いか、そう決めてしまえば暖簾を潜るのは今宵の楽しみと、切り替えは早かった。

わたしは雪が降りしきるなかを、散歩に過ごすことにした。行き先は、大村の『社宮司大明神』と豚骨の名店『狼煙』で良かろう。かなりの距離があるが、ソフトシェルを羽織って手袋もある。寒さを楽しんでやるのだ。江戸銀を素通りしてさらに坂を下ってゆく。




住宅街を流れる大門沢川にかかる『しゃげきじょうはし』。これは旧帝国陸軍松本五十連隊の射撃場に因む。写真の向こう奥、連隊駐屯地から兵隊さんたちが通ったのだ。






民家の敷地に石祠がおわす。どんな神様が祀られているのか。






その先には馬頭観音。





善光寺街道を横切る地点で庚申塔がひとつ。




信州大学の敷地に残る旧五十連隊の煉瓦建造物。




女鳥羽川を渡る。岡田三才山方面は雪の幕に遮られ見えぬ。




大村の『国司塚』は民家の敷地に挟まれたところで、見つけるのに苦労する。伝わるにそのかみ、京の都から着任した国司殿が、当地へ到着したその日に嵐で他界するという悲劇を慰めるために築かれた、という。国司殿は近くの『大宮神社』に祀られているとも、またこれは国司と無関係で古墳であるともされる。長い年月を隔てて何かを伝えるということの難しさを、思い知らされる。歴史はしばしば、書き換えられるのである。





大村雪中という古い集落についた。念仏供養塔が見られたり、古びた佇まいが好ましい。





なにやら、コートの襟を立てて風雪流れ旅の趣である。吉幾三さんの『雪國』の歌詞が無意識に出た。わたしも一端の漢(おとこ)になれたようだ。





さて社宮司大明神さんである。道ばたに案内板がいざなう。




社叢を西側から眺める。ここからは一面の田んぼで、彼方には美ヶ原温泉の建物がうっすらと見えている。






社宮司大明神さんはこの集落の鎮守である。




この鳥居の向こうに広がっている田んぼからは、縄文時代中期の『大村塚田遺跡』が発掘された。土偶や石棒、有孔鍔付土器と呼ばれる祭祀色の強い遺物が知られている。

大村塚田遺跡に隣接するこの境内の下には、まだ知られざる縄文の遺構と遺物が眠っている。諏訪地方や上伊那では、社宮司さん(ミシャグジさん)の多くが石棒を御神体としていると聞く。ならば、想像にすぎないが、この社宮司大明神さんの御神体も縄文時代の石棒ではないだろうか。

そう考えると、この神様は五千年の永きにわたってここに鎮まっておられるのかもしれない。








こんな細道を拾いながら、次の目的地『狼煙』へと向かおう。





南浅間に堂々と掲げられた、狼煙の二文字。





わたしをしあわせにしてくれる至高の白いスープ。味噌や醤油といった不純物が混じらない、神聖にして気高きスープである。






替え玉を待つ時間とは、味玉をむさぼるために神々が与えてくれた至福のひとときなのだ。





まだ雪は降り続けている。すっかりくちくなったわたしは、女鳥羽川を渡り返し美須々の杜の前にいた。ここは長野懸護國神社。





旧五十連隊の記念碑は、護國神社大鳥居の向かいにひっそりと佇んでいる。敷地はいつも手入れされ、こざっぱりしている。おそらく近隣の善意もあるのだろう。




すぐ側に『中原町観音堂』が建つ。このお堂、なんと観音菩薩像の左となりに、いわば白木のミシャグジさんとでも言おうか、木製の陽根が祀られている。山ノ神や道祖神ではよく見られるが、観音堂でこれはめずらしい。神仏習合の時代の、おおらかな庶民の信仰の痕跡なのだろう。








今日の散歩の出発点とも言える『松本 江戸銀』に帰り着いた。これを書いていておっともう夕刻である。わたしの大脳が叫び出す前に、冷えた地酒を頼まねば。