2019年7月27日土曜日

わたしのプーッコ


この夏に始めたプーッコづくりが、手のリハビリという言い訳を必要としなくなってきた。それは充分に愉しい、いや、限りなく愉しい時間なのだ。前項で書いた、道具を作るというクリエイティブな体験が途切れることなく続いている。

気を良くしてせがれの16歳の誕生日に一本を贈った。そして次に作った一本も、彼の手に渡った。そろそろ自分用の一本が欲しい。そこでせがれには「次のプーッコは父のものだ。君がどんなに望んでも、決して君のものにはならないだろう」と告げ、製作に着手する。

構想とパーツ製作は早い段階から準備されていて、せがれ用のを作る以前に、原型を顕わにしていた。上の写真の最下段の物体である。ラウリの炭素鋼ブレード69ミリを、欅の芯材、黒いレザー、そしていくつかの装飾的な要素で仕立ててみる。





グルーイング前の仮組みの様子。レザーの枚数、真鍮を見せる位置、赤いレザーの配置、あるいは手順や工程のそれぞれを見直し、つぶさに再検証してみる。

つまりは、試作品を数本作ってみて得られた自分なりの手応え、見えてきた課題、反省点を踏まえての製作となる。それなりの物に仕上げたい。




とはいえ分からないことが多い。エポキシの混ぜ方、塗布量は間違っていないだろうか。治具で締め付ける力は適正だろうか。そしてタングのエンドのカシメが問題だ。ハンマリングの力加減、あるいはエンドプレートのフィッティングも解らない。海外の動画では末端にネジ山を切ってナットで締めている場面があった。その方が良いのだろうか。まだ手探りの連続である。






硬化が完了して、ハンドルのプロファイルを確認する。この場合は主に外観上の要素で、真鍮の見え方、赤いレザーの効果、などである。サンダーでざっくり削って「面」を出してみると、思い描いていたハンドルの風貌を垣間見ることができた。大きなミスは犯していないようだ。




続いて、ハンドルのサイズを決める。天地左右を削り出し、握った感触を確かめる。もっと細く? バランスは大丈夫? 重心の位置はどこに定まるだろうか? 




何度も何度も繰り返し確認する。四角いブロックのエッジが残されているが、何日も脳内で握り続けてきたハンドルである。削り出された瞬間に出会えばすぐ解るだろう。



ここで答えが出た。最終的には各面を0.5mm掘り下げたところにシェイプがある筈だ。




翌日、エッジを少しずつ落としながらアールに削り、シェイプを探し出していく。




握って確かめ、眺めて思案する。後戻りできない工程なので慎重さが要求される。特に積層レザーの部位は軟らかく、サンダーの当て方を誤ると削られてしまう。

うーん、ベルトサンダーが欲しい。曲線美を追及するなら当然の希求であろう。

あとわずかに凹凸をならしたら、その先は手作業となる。




サンドペーパーの#150、#240、#400と進めてきた。探ってきたハンドル・シェイプまで0.2mmぐらいには迫れたようだ。




手感を頼りに更なる磨きを掛ける。欅の芯材ならではの杢目も見えてきた。結果が見えてきた感触。山で例えるなら、明神岳南西稜でII峰の懸垂下降を終えた場面だ。残すは主峰への登り、でもその後の奥明神沢のコルへのクライムダウンが恐かった。



右上が「わたしのプーッコ」。ハンドル整形中ながら、それなりの完成度が得られたようだ。こっそり小声で話すように書いておきたいことがある。実はこのカットに、わたしが神様と崇めるpuukko職人であるthetopicalaのOsmoさんが「いいね!」をくれたのだ(すごいドヤ顔)。

ここから細部の仕上げ、レザーのシースづくり、そしてブレードの研ぎ上げを行う予定である。



この杢目。うっとりと眺めて飽きることがない。




血豆が物語るサンドペーパーとの格闘。



わたしのプーッコだ。ハンドルのエンドは、このまま残しておく。次回への課題となっているからだ。

わたしのpuukko作りにおいて最大の壁は情報の少なさ。日本語の情報はBush'n bladeの大泉さんが紹介してくれている以外には、ほぼ無い。そんな中で、上に書いたthetopicalaのOsmoさんの動画は英語のテロップで解りやすく、素晴らしい内容である(わたしが誤訳していることは別問題)。結局、最大の謎だったタングの末端のカシメについても学ぶことができたのだが、この一本には間に合わなかった。




後日談。安物のベルトサンダーを買った。手作業の削り、磨きではどうしても残してしまった微細な凹凸を丁寧に消していく。#1000で消したのち、ハンドの#2000で仕上げたら、実に滑らかな表面が得られた。アマニ油を塗り直しておく。さて、そろそろシースを作ってやらねば。






2019年7月20日土曜日

プーッコ 積層レザーワッシャによるハンドル試作


北欧ナイフのプーッコの世界では、鍛冶屋からブレードを仕入れてハンドルとシース(鞘)を自作するということがしばしばあるようだ。少なくともYouTubeを覗いていると、一人前のフィンランド人は誰もがこのスキルを備えているような印象を受ける。「網戸の張り替え」ぐらいの感覚で、多くのフィンランド人がプーッコのハンドルメイキングを行っているのだろう。いや、もしかしたら、当地ではどの家庭にも鍛造用の炉と設備があって、家長と主婦はブラックスミス(鍛治仕事)を日常的に楽しんでいるようにも思えてしまう。オーロラの下で暮らす愛すべき人々は、実のところどうなのであろう。




本blogは、かつて「暴飲暴食、時々は山」と副題を置いて、imalpという様々な問題を抱えた「その男」が繰り返す愚行と蛮行を記録したサイトを前身とする。旧「その男、薮...」は一度閉ざされたが、中のひとが名前を変え、そして再び妄言毒言を撒き散らす構えだ。ご覧になる方は、充分に注意されたい。

最近のトピックで幾度か触れているが、数年来の交流で『絵描きゴトキャンプゴト』のスズキサトル師匠からプーッコのことを教わり、ハンドルメイキングを試みることになった。勝手が判らないながらも、三本の試作を終えて倅にも一本を贈ることができた。諸事情で山に行けない悔しさをぐっとこらえて、次なる試作に進もう。




本場の本物のpuukkoには、ハンドル材に白樺の樹皮が採用されることが多い。わたしの手元にはまだこれが届かないので、違う材料でハンドル形成を試みる。






上に書いた違う材料とは、牛革である。thetopicalaの動画ではスタックド・レザーワッシャ・ハンドルと表示されていた。牛革の積層である。家にある皮の端切れを集めると、ハンドルの長さ分の厚みを確保できた。タングが通る穴を開ければ、両端を真鍮が挟む小粋なデザインにできそうだ。用途はカッターナイフの代替品、ペンケースに入れて仕事場でも図書館でも使うプーッコ。おっと、図書館に刃物は似合わない。

グルーイングに使うエポキシに、ふと思った。在庫してるやつは10分硬化のものである。早すぎる。革の積層に手間取ることが予想されたので、ホームセンターに30分硬化のエポキシを買いに行った。

一枚ずつ丁寧にエポキシを塗り積層していく。エンドのプレートを決めたら治具にセット。これをひと晩放置する。




朝には完全に硬化していた。




これまでに作ったプーッコを使ってハンドルをラフに削っていく。プーッコはプーッコを駆使して作る、それが良い。大まかな形を取り出したら、電動工具に登場してもらおう。




ディスクグラインダーでの削り風景。このプーッコは細身のハンドルと決めていた。




握っては撫で回し、フィット感を探る。毎日使う道具だ。完璧さは要らない。手に指に馴染むか、それだけである。

サンドペーパーを帯状にして擦りあげ、#400で止めた。敢えて磨かず、レザーの柔らかさを残そう。とはいえ木材ぐらいの感触で、ナチュラルな手感が心地よい。




道具を作るという仕事は、何と愉しいことなのだろう。おのれが使う用途に合わせ、機能、大きさ、形状や手との馴染み、そんなことを考えながらブレードを選びハンドルを作る。素晴らしくクリエイティブな体験である。





ハンドルにミツロウを塗って軽く撫で擦ってみた。感触も光沢も好ましい。一緒に写っているのは加工中の新作である。




そんな感慨に耽っていたら、倅が来ていてこのプーッコを物欲しそうに見ている。こないだ誕生日プレゼントに良いのを贈っただろう? いや父さんあれはあれでこれはこれで、とにかくこれが欲しい。

こうして、レザーワッシャを積層したハンドルのプーッコは、倅に取られてしまった。




しょうがない。ネックナイフの仕立てでシースも作ってやるとするか。











2019年7月14日日曜日

少年は荒野を目指す


16歳になる倅が、時おりわたしの道具たちをこっそり持ち出している。道具だけでなく、古いrockのアルバムや澁澤龍彦さんの本なども。これを一度も咎めたことはなく、むしろ勝手にやれよと心では促している。

北欧ナイフのプーッコをいじくり回していると、倅は側へ来てじっと眺めている。倅用のを作ってやろうと決めていたので、ブレードが届いた夜に選ばせた。



フィンランドから届いたブレードと、試作のプーッコ。梱包を解いていると倅が呟いた。ショップの人はスウェーデン系のフィンランド人か、と。新聞紙がスウェーデン語だという。わたしにはその区別がつかないので、「ほぇー」という反応しかできなかった。



ハンドルにはチンシャンと書かれた銘木の端材を選んだ。うん、良い選択だ。



いやぁ、硬い。ドリルの歯を二本折る羽目になった。





忘れないうちに治具を作っておく。




さてパーツを点検して仕上がりイメージを確認する。



そしてグルーイング。この工程で、木のブロック、牛革が4枚、真鍮の欠片がおなじく4枚、そして炭素鋼のブレードが接合される。エポキシを流し込んで塗りたくって、治具へとセットされる。プーッコが誕生する瞬間である。




一晩放置しておいた、生まれたばかりのプーッコを削りに掛ける。待てずに暗いうちから始め、朝飯の時刻にはもうプーッコの形状を成していた。夜明けにディスクグラインダーを鳴らすのは田舎暮らしとはいえご近所に申し訳ない。ヘレのブレードを試作で組んだやつが刃こぼれするまで働いてくれた。

サンドペーパーの180番から番手を上げて400番でやめた。手が悲鳴をあげている。



目覚めて書斎を覗きに来た倅にこれを見せると、信じられないと言う顔で受け取った。それはそうだ、君が昨日これを見たとき、ブロックに昆布巻きが刺さったような様子だったのだ。



惚れ惚れとした表情で自分用のプーッコを眺めている、もうすぐ16歳になる少年に、オヤジは特に言葉を掛けなかった。言わなくても伝わっただろう。荒野を目指せ。世界の果てまで行ってこい。

わたしは五木寛之さんの小説を読まなかった。若い頃に北欧やロシアを旅する機会も得られなかったが、いま、フィンランドを訪れたいという夢を抱いている。それもこれも、友人のスズキサトル師匠から北欧ナイフのことを教わったことが根っこにあるのだろう。


倅は、間違いなく、自分自身の荒野を目指すだろう。オヤジもまた、荒野を目指すのだ。



プーッコのふるさと、フィンランドには、わたしが神様と崇めるふたりのpuukko職人さんがいる。Bush'n Bladeの大泉さん。そしてthetopicalaのOsmoさん。いつか夢が叶うならフィンランドへ渡って、わたしが作ったハンドルを見て貰うのだ。誉めてもらえるのは遠いまぼろしとして、こんな素晴らしい手仕事の先生になってくれたお礼を言いたい。















2019年7月4日木曜日

Morakniv Classic 2/0ハンドル改造



ことし五月の連休を、怪我の回復に過ごした。その無為の時間を、なにか次の課題に繋げたいと考え、Puukkoのハンドルデザインをひとつのテーマに取り上げた。Puukko、プーッコとは北欧フィンランドでナイフという意味。ときどき「プーッコ・ナイフ」という表記を見かけるが、これでは「頭痛が痛い」とか「危険が危ない」に等しくなる。




Morakniv Classic 2/0。これはスウェーデン王国のMora社製なので「厳密にはpuukko ではない」という考え方もある。しかしまあ、そこは曖昧にしたまま、プーッコ試作の素材として、便利に使わせてもらおう。

このままでも充分に美しいシンプルなハンドル。これはこれで気に入ってしまい、しばらく撫で回すように愛用していた。しかしある雨の夜に見た夢のせいで気が変わり、カスタマイズすることにした。




いくつかのアイディア、採用するマテリアルのプラン、仕上がりの風貌などが脳内に交錯する。でも根幹には少し太めのハンドルに、という方向が決まっていた。



オリジナルのハンドルを破壊する。ブレードを養生してバイスに固定し、鑿(のみ)を打ち込んだ。すると、想像よりしっかりしたタングが現れた。ハンドル内部にエポキシの痕跡は見られなかった。




これがMorakniv Classic 2/0の解剖図。スケールを写し込んでおけば誰かの役に立ったかもしれない。




新たなハンドルには、パリサンダと欅の芯材。1ミリのブラスを何枚か挟もうとも考えたが、華麗なデザインになってしまいそう。ブラスは両端に留め、どちらかと言えば素朴で武骨な姿に仕上げよう。




グルーイング中。すぐとなりに転がっている欅のブロックには木目が見える。一方のハンドルは、細かい年輪のラインが入り組んだように緻密な紋様を見せている。このあとの削りで、わたしはこのマテリアルの硬さを知る。



ディスクグラインダーでの削り作業の様子。#240でシェイピングするも、摩擦熱で黒焦げになっている。高速回転で削るには、硬すぎるのだ。



粗削りの途中にて。同じ材料でファイアスタータを製作している。これはつい先頃、師匠のスズキサトル先生から下賜されたものだ。「このマグネシウム棒を、メタルマッチとして仕立てて見よ」という命題である。

さてMoraとメタルマッチ、これから手作業の研磨を行うのだが、この焦げを残してみようかとも考えている。しかしものごとは、目論見通りには進まない。



ディスクグラインダーで#400の削りを施し、大まかな整形を終えたのち、続けて布ヤスリ#400を帯状に擦り掛けてざっと焦げを落とした。どこまで焦げを落とそう?

夜、呑みながら#1000の耐水ペーパーで擦っていると、なにやら囁きのようなシグナルを受け取った。飲み過ぎたか、ついに酒毒が脳に廻ったか。いや違う、左の掌に乗せられた欅ハンドルのプーッコが、きゅうきゅう鳴いていた。



そこには、憧れのカーリ・パーチなどのスペシアルなハンドル材が見せる、いや、それらを遥かに凌駕した「杢目」が鮮やかに現れていた。試みにアマニ油を垂らしひと拭きしてみる。

もう、絶景だった。

北極圏の空に輝くオーロラのようにも見てとれる。あるいは荒野の片隅での焚き火の炎。あるいは春の渓を流れ下る雪融け水の奔流。いずれにしても、ブッシュクラフトナイフのハンドルを飾るにふさわしいテクスチャである。

はじめに想像していた素朴で武骨な風貌とは、少し乖離してしまったようだ。素材としての欅を手にしたときに、何の心構えも覚悟も定まっていなかったわたしの不覚である。ぐぬぬ、欅の材の奥に鎮まっておられたクラフトの神様から、きつい喝を頂いた瞬間だった。