2019年11月24日日曜日

花梨ハンドルのプーッコ


北欧ナイフでの手遊びがまだつづく。来年あたりからはプーッコ関連の投稿は別サイトに移そうかと思案しているので、もうしばらくご容赦を。




ラウリの炭素鋼ブレード、ファクトリーメイドながら結構な切れ味で、さくっと抵抗無く喰い込み、ざりざり言わずにすっと切ってくれる感触が気に入っている。もっとも、航空便で届いた後にフルスカンジでベベル面をいちどきれいに研ぎ直したうえ、プーッコ完成後は天然砥石で砥糞を使って丁寧に刃付けし、革砥でストロッピングを施してのことだ。

ハンドル材は松本市内のホームセンターの木材コーナーから調達。何種類もストックしてある中から、一度使ってみたいと思っていた花梨を選んだ。




ドリリングに関してはここで書かないが、効率と精度を考えてボール盤を購入しようと決めた。北欧のプーッコメーカーさんたちの多くが、(ネットの画像を眺める限り)バイスに挟んだハンドル材に手持ちのドリルで穴を穿っている。これが難しい。





わたしとしては、一種のブレークスルーを経験できた忘れ得ぬ作品でもある。以前に書いた『黒革のプーッコ』で少し触れたが、タング末端のカシメの課題が解決できたのである。同じ志を、という奇特な方も居られぬだろうが一応書いておく。

カシメに使用する治具を作り直し、挟んで固定するトルクを向上させることでカシメが容易になった。カットした2x4のSPF材を2個使用し、写真のように4本のボルトでブレードを固定する。緑色のマスキングテープの部分がブレード、赤褐色のブロックが花梨のハンドル材である。ブレードを挟む木片が見えているが、これは治具の面を凹ませないために使用している。このとき、ハンドル材は治具に接触させない。ハンドルの上に突き出しているタングの末端には焼鈍処理を施し「ソフトに」してある。この状態でタング末端をハンマリングすると、実に容易にカシメを行うことができた。




エポキシでグルーイングを終えた本体の様子。





タング末端のカシメ部分がマッシュルーム形状になっているのがお解りいただけるだろうか。このあとさらにハンマーを当て、影になっている部分まで潰し込んである。




ベルトサンダーでハンドル形成を行う。粗い番手でハンドルの形状を削り出していく。





花梨材は固くてなかなか削れない。そこで厚みの方はプーッコで削ってみることにした。

いやはや、硬い。




ざっくり形を探り出した後に、ベルトサンダーに戻る。結構な時間をかけてここまで削り出した。ハンドルの左右に「稜線」のある形状にしてみようと考えている。





150番、240番と進んでここまで来た。朝6時頃から朝飯抜きで午前中を費やす。




午後、さらに番手を400番、800番とすすめてこの状態に。





夕方で光量が足らず、ぶれている。1000番、2000番とハンド研磨を施してアマニ油を塗り込んだ。





前日のブレード研磨、ハンドルの準備、フロント/エンドのブラスの削り、組み立て接着で半日作業。この日はハンドル研磨で一日を使い切り、夕暮れ、遠く鉢伏山を眺めて乾杯を楽しんだ。シース作りは来週末に。







2019年11月16日土曜日

まぼろしの巨大積乱雲

その日、わたしが眺めた積乱雲


2011年7月14日19 時過ぎ、北ア表銀座の西岳テン場から写された何枚かの写真が残っている。旧blogにも書いた出来事だが、その旧が消えてなくなってしまったのを機会にここに採録しておこう。





暑い日だった。わたしは、表銀座西岳のテント場から槍を眺めていた。北鎌尾根の稜線の突起をひとつずつ数えるように、その峻険な尾根を辿る日のことを夢想していた。テント場の白い砂はまだ日中の熱を残していて、風が絶えると地面からの輻射で汗が流れた。








だんだんに槍の穂先のシルエットが濃くなってきて、北アの稜線が夜の帳に包まれようとしていた。刻一刻と移り変わる槍の風景にも飽きてきたわたしは、何となく背中の方から邪悪な視線のようなものを感じた。



誰かに覗き込まれている?
そんな気配を感じたわたしが、ゆっくりと背後の常念岳を見やった時だった。



昇ってきた月が蝶ヶ岳の上に居る。そして常念岳の山頂あたりに雲がまとわりついている、と認識した瞬間に違和感を感じた。常念山頂付近の小さな雲は槍穂の稜線の影でもう暗い。遠い空にいくつもの積乱雲、こいつらは夕照に染まって高い空に居ることを示している。その、さらに向こうに居る巨大な雲は何だ? 金床型に広がっている。オレンジ色に染まったいわゆる入道雲たちよりも遥かに遠くにあるのに、その高さたるや....。

わたしが感じた邪悪な視線の正体とは、信じがたいほどの巨大積乱雲だったのだ。





巨大積乱雲は、低い所にある雲たちが光を失ってもなお、遠く高い空で輝いていた。のみならず、いく筋もの稲妻が走り内側から輝きを放っていた。音も轟も、聞こえてこなかった。





検証、巨大積乱雲


ゲリラ豪雨なる言葉が多用され、メディアでも流れていた。あの雲の下ではもの凄い雨が降ったことだろう、そう思ったままわたしは巨大積乱雲のことを忘れ、日常に埋没していった。2015年の冬のある夜、HDDのフォルダを開いたらこの雲の写真が出てきてその宵のことを思い出していた。


まず、地図を広げたりしながら、あの雲があったのは埼玉県秩父市辺りだろうと見当をつけた。秩父市でなければ延長線上には、川越、さいたま、松戸、鎌ヶ谷あたりのどこかだ。


このアメダスのページは、その日の秩父市の1時間あたりの気象の変化を記録したデータである。>>秩父市 7月14日

午後にわずかな降水があったようだが、これか。


見つけた。15時に秩父の南西、観測点「浦山」で14ミリの降水記録がある。>>浦山 2011/07/14


いや、時間帯が違う。これより4-5時間後だ。それに14ミリでは大した雨量じゃない。すると秩父よりもっと遠くか?設定する地点を変えて、手前の信州佐久エリアから西上州、そして埼玉から東京湾岸にかけて何カ所かを調べてみた。

おかしい。豪雨と呼べるレベルの痕跡が見られない。延長線を振ったりしながらさらに調べてみた。よく報道で見かける「その日、各地の降水量、棒グラフ」を見ることができれば地点捜索は容易である。しかし降水量のランキング、という探し方が解らなかったので、各地の「1時間ごとの値」を丹念に探して回った。


解ったことは、わたしが調べた限りでは、アメダスにはゲリラ豪雨の痕跡が見られなかったということだ。





目撃者を捜す


アメダスからは何も知ることは出来なかった。しかしあれだけ大きく発達した巨大積乱雲である。たくさんの目撃者が居て、SNSその他に投稿された画像などがあるのではないか。そう考えたわたしは、まずヤマレコの投稿を探った。

平日だから山に来ている人は少ないだろう。それでも、唐松岳、燕岳、奥穂、富士などの各地からあの積乱雲が写し出されている。山座同定の要領でエリアを絞っていくとやはり秩父方面だ。いや、もう少し東側、青梅から狭山の辺りだろうか。雲がでかすぎて方向感覚がおかしくなりそうだが、東京西部、埼玉南西部の可能性が高い。時間帯はみな、日没ぐらいである。



続けて短文投稿サイトを眺めた。

キーワードは「巨大積乱雲」、日付を2011年7月14-15日の期間。すると5件の投稿がヒットした。

練馬の北の方、東京から西を見ると、西東京の方、などと呟かれている。画像を見ればわたしが北アから眺めた形の鏡写しである。間違いない。あの雲を見た人々が存在するのだ。キーワードを変えてみる。「ゲリラ豪雨」、期間を2011年7月14-15日。するとヒットはあるが「すげえ雨が降ってきたまじやばい」的な、リアルなレポートが無い。雨は降らなかったのだろうか。



ググってみた。有望な情報に出会えた。2019年11月15日現在で閲覧できる二件についてリンクを貼っておく。

  >>河合正明さんの天体写真ギャラリー(圧巻!)

  >>イラストレーサーさんのサイトの記事



やはりあの雲は、あの巨大積乱雲は確かに存在した。しかし、降った、降られたという記録がどこにも無い。情報の探し方を間違えているのかもしれないが、出会えない。出会えないでいるから、わたしの中ではあの巨大積乱雲は、やはりまぼろしなのである。