2019年6月24日月曜日

欅ハンドル・プーッコ


欅材をプーッコのハンドルに採用できないか。

前項でご紹介した試作でも欅材のアイディアはあった。しかしその硬さに気後れし、わたしは加工性の良い胡桃材を使っている。




これがストックしてある欅のブロック。臼や杵を作った際に出る端材で、勿論のこと乾燥済みである。うむむ、使ってみたい。国産広葉樹の材をハンドルに採用するというテーマは、わたしがプーッコのハンドルメイキングに取り組む根幹の部分である。




このハンドル試作では、欅材の質感を確かめることが目的である。杢目の優れた銘木でもない端材が、どんな表情を見せてくれるだろうか。




本来はハンドルとブレードを接合してから削りを行うのだが、あらかじめ欅の質感を探っておきたい。場合によっては欅材の交換もありうることだ。この理由で、ハンドルブロックを予備的に削ってみよう。




木の繊維、木目の性質を知りたいので、電動工具はまだ出番がない。荒仕事用のプーッコは最初の試作で刃を痛めているので一番切れる鉈を使う。しかし硬い。小一時間かけて形を整えてみた。

ふむ、刃を入れるには向きがある。間違えると木目に添って割れる場合がある。この辺りを手応えとしながらハンドルらしい形に近づけていく。



まだまだ太っちょだ。鉈で削った後、ディスクグラインダーで形状を整えていく。この太ったフォルムの中に予め存在している筈のハンドルの形状は、削り出される瞬間を持っているのだろう。問題は、わたしがその瞬間を認識できるかどうかだ。





粗削りを終えた欅ハンドルプーッコ。サトル君から借りたBush'n Blade の逸品と並べてみる。もう少し細くしよう。木目は、磨きによって出てくるだろう。握った感触は悪くない。重量が、ややハンドル寄りに重心を置くようなバランスだろうか、適切かを検証したい。





粗削りの感触を確かめたのち、グルーイング。右側に見えているナットは、タングの末端を未処理のままにしているから。エンドのプレートを押さえる役割を担っている。




まだまだ削り中。ベルトサンダーがないので道具や手順も試行錯誤である。



これからサンドペーパーの帯で擦りあげる作業が待っている。夜にガレージで独り作業だ。寂しく聞こえるかもしれないが、楽しくて仕方がない。



#400での磨きを終えたところ。布製ヤスリ百円を帯状に八等分して使い切った。眺める角度を変えると色も質感も変化する。これだ。欅材に求めていた面白みだ。




#800での磨き中の様子。このあともさらに磨き込んで光沢を出していこう。




途中、師匠であるブッシュクラフターの茶の間にお邪魔し出来映えを見て貰う。珈琲をごちそうさま。




ショッピングセンターでアマニ油を調達。




塗ってみた。




うん。これだ。





欅という素材。どこまで深みのある質感に迫れるか、一応は感触を得ることができたようだ。












2019年6月16日日曜日

Front Plate





本当はボルスター、あるいはヒルトと呼ぶのが正しいのだろう。北欧ナイフのブレードとハンドルに挟まれた口金様の真鍮パーツである。

わたしがいつもインスピレーションを貰っているナイフメーカーの動画ではFront  Plateとテロップが入るので、ここでもフロントプレートと書いておく。



昨日届いたHelle のブレードは、オリジナルデザインではフロントプレートを使用せずに白樺のハンドルに固定されている。タングの根元の形状からして口金には合わせにくそうだが、それでも試してみた。




シクネス2.0の板材から、長手30、幅21を想定して作ってみる。ケガキ、ポンチ打ち、ドリルで下穴、後はタングの寸法に合わせながらヤスリで広げていく。




穴の幅をブレード厚より広くせぬよう注意深く、少しずつ削る。





昼飯も抜いているので根気も続かない。信州では「ずくが足りない」と表現する。これくらいで良しとしようか。




板材から切り離し、ディスクグラインダーでざっと形を整える。




耐水ペーパーと砥石を使って滑らかに磨き、傷を消していく。




#2000番で擦ったあとで、青棒を塗った古タオルに揉み込むように磨きあげて仕上げる。





ミラーフィニッシュと書けば少し誇張か。まあ自分使いである、これでいい。

なから一日を潰してしまったが、とても楽しい時間だった。「なから」とはほぼほぼ、ぐらいの意味の信州の方言である。






2019年6月15日土曜日

Helle Folkekniven 80 blade

雨の朝、ブレードが届いた。


フィヨルドのほとりに建てられたHelleという鍛冶屋のもので、sandvik(12C27)というステンレス鋼で出来ている。これを隣のムーミンの国で注文すると、四日目にはこうして手にして眺めていられるという、結構な時代になったと実感させられる。






事の起こりは数年前に遡る。山友で美術家、そしてすぐれたブッシュクラフターであるスズキサトル君が一本のナイフをくれたのだ。サトル君からナイフを貰うという名誉な出来事以来、そのナイフはわたしの野遊びに欠かせない一本となった。野遊びといっても初夏に野蕗を伐ったりする程度であるが。

北欧生まれのナイフ(ならばプーッコあるいはpuukko と書かねばなるまい)に加えてオピネルやハンドメイドなどが何本かあるのだが、どれも炭素鋼である。研ぎなどの手入れ自体が楽しくて仕方がない。なのだがふと、ステンレス鋼で手入れに手間要らずの一本が欲しくなった。日常的に庭仕事や野外料理に使う目的のナイフである。ハンドルは広葉樹材などの天然素材として、伝統的なサーメ人の道具を思い浮かべてみる。製作過程で必要な道具は最低限ながらほぼ揃っている。そこで手軽なブレードを漁った結果、ノルウェーのhelle 社のブレードがわたしの手もとに届いたのだ。



Helle folkekniven 80 blade 、Sandviks 12C27ステンレス鋼、板厚は3.0、ブレード長88mm。写真では解り難いが、外光を反射させて見ると和包丁の「割込」のような様子が確認できた。ラミネートステンレスとは異なるのか、まだよくわからない。

刃厚が3.0なのでベベル面は広くない。グラインドはお約束のベタなスカンジで、マイクロベベルが施されているようにも思えるが意図的な刃付けではないかもしれない。箱出しでもコピー用紙はサクサク切れた。





ブレード根元の真鍮パーツは、本来はボルスター等呼ぶようだが、わたしはフロントプレートと呼んでいる。いま手元にあるブラス素材のシクネスが2.0と10.0。今回のHelle folkekniven 80にはフロント/エンド共に2.0を使用予定である。一点、不安を残す要素がステンレス鋼のカシメである。貫通させたタングのケツがハンマリングでカシまるのか、少し読めない。末端の焼鈍(焼きなまし)処理が必要になるかもしれないが、ブレードへの影響はないのだろうか。この辺はステンレス鋼ブレードの事例を調べてみよう。




ハンドルは色と質感の異なるウッドの2-3ピース構造、メインは在庫の花梨かホンジュラスローズで良いだろう。ブラスの薄板、レザーワッシャーなどのスペーサもデザインに合わせて加えてみる。ベルトサンダーは所有していないから削りがやや大変そうだ。




手前の花梨材あたりがHelle のハンドルになりそうだ。二本分で296円とかもう。




乾燥済み欅のブロック。杢目の出そうな部分を選んで使ってもよさそうだ。今回は出番はないかもしれない。



実は次なる予定では、別な鍛冶屋が鍛え上げたシクネス5.5ミリ高炭素高のブレードを手配している。今ごろ鍛造中だろうか、入荷待ちとなっているが夏の間には手に入りそうである。白樺の樹皮もやがて届くことになっている。愉しみは当分続きそうである。


2019年6月2日日曜日

鍋の取り皿をめぐる問題

鍋の取り皿が問題なのだ。

考古博物館や郷土資料館に行くと、たくさんの縄文土器が展示陳列されているのを見ることができる。ものすごい装飾や文様に圧倒されるだろうが、これらのほぼすべてが実用品であり、実際に煮炊きに使われていたと聞かされれば、さらに驚くことだろう。

ここでは、その特徴的な縄文土器の装飾のことには触れない。

確かに、その大きな土器には山の幸海の幸が素材として投じられ、煮込み料理やらスープやらの様子で数千年前の祖先たちの腹を満たしたことだろう。いま手元にある藤森英二著『信州の縄文時代は実はすごかったという本』にも「煮炊き用の鍋である」とはっきり書かれている。教科書にも同じような記述があったように思い出される。土器の発明が調理方法の幅を広げ、エネルギーの摂取を助けたのだと。



わたしのまぶたの裏には、当時の家族団らんの様子が浮かぶ。薄暗いが心地よさげな住居の中で、炉には炎があたたかく揺れている。そこには大きな深鉢型の土器。何かが煮えているのだろう。まだ小さな子どもが父さんの話を聞くよりも土器から立ち上る旨そうな湯気に心を奪われている。母さんは、土器の中から料理を掬って....

ここでわたしの想像力は、ぴたりと止まるのである。

母さんが手にしているレードル、つまりお玉とか柄杓と呼ばれる道具の素材と形状が思い描けない。さらに、お玉が掬ったお料理そのものは、どこへ行くのだ? お腹を空かせた子どもが手にする器が、思い描けないのだ。煮込みであれスープであれ、あるいは鍋料理ならば、汁物ではないか。その汁物を盛る器とは、どんな器だったのだろう?

博物館の展示室に戻ろう。ずらりと並べられた土器たちは、大きな物が多数を占める。深いもの浅いものがあるが、小さな物がない。おっと有ったぞ。何々、ミニチュア土器とある。説明書きには「祭祀用と考えられている」とある。違うこれじゃない。わたしが探しているのは、鍋などの汁物をよそう、銘々の碗のことだ。鍋の取り皿のことだ。毎食の度に手のひらで包む、それぞれの皿茶碗のことだ。

近隣のいくつかの博物館に足を運んだ。わたしの探し物は、どこにもなかった。そこでわたしも考えた。そうか、個人用の碗、鍋の取り皿は質素で装飾もなく、文化財としての価値も低いのでここに展示されていないだけ、と。

博物館で見ることができないのならば、と何冊かの本も買ってみた。土器や土偶のことは美しい写真とともに紹介されているが、鍋の取り皿のことは何も書かれていなかった。

次にわたしはGoogle 先生に訊ねてみた。『縄文土器 碗』で調べてみたのだ。違うようだ。続けてベタに『縄文時代の鍋の取り皿』で問う。Google 先生は、教えてくれなかった。

なぜスルーするのだ? 

煮炊きの道具について語るのであれば、個人用の器についても取り上げられて然るべきではないか? 数から考えれば圧倒的に多く作られたはずの銘々の器、家族の人数分の器について、いかなる理由で無視されるのだろうか。

さらにわたしは考え続けた。こういうアイディアも浮かんだ。
「何も解明されていないのではないか?」

これは考古学者たちにあまりにも失礼なことだ。



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数千年前の祖先たちが、どんな道具で飯を喰っていたのかが全く判らなかった。その疑問符が、ある日、何と書けばいいのか、大きな音を立てた。




わたしはGoogle 先生に『縄文時代 碗』と、石へんで問うたのだった。小振りの個人用の土器が大量に作られて日常的に消費された、という文脈で考えていたのだ。目の前のククサを眺めながら、自分の過ちに、ゆっくりとだが気づき始めていた。

わたしは、木へんで尋ねる必要があったのだ。土器の「碗」ではなく、ククサのような木製の「椀」で。


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調べ直し、いくつかのリポートに眼を通し、わたしは祖先たちの高い知性に驚かされるばかりだった。おそらくは桐などの加工性の高い樹種を選び材としたのだろう。磨製石斧を丁寧に材に当てがって叩き、資料には「横木取り」したとある、板を取り出したのだ。さらに刃を当てて必要な形状を取り、器として抉ったのだ。これを今日のブッシュクラフト用語ではバトニング、チョッピング、そしてカービングと呼ぶ。

木製の椀には、漆が塗られていた例があるという。器の外側より内側に多く重ね塗りされていたということは、縄文時代の祖先たちが塗料としての本質を理解していたことを示している。木は薄く削られていたという。金属のない時代に、石器だけで見事な手仕事をしてきたということだ。どれもすごいことで、わたしたち世代が思い描く原始時代像からかけ離れている。

こうした木製品、植物素材を使った籠などの容器をはじめ生活用具は、長い年月の間に分解されて残らない。偶然にも湧水や湿地化などで水に浸かって保存されるケースが僅かにあるだけだと聞く。未来の考古学者たちはどんな新発見をしてくれるのだろうか。



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はぜる薪の音。楽しげな家族の会話。その子は、手のひらに美しい木の椀を乗せ、これまた美しく滑らかに磨かれた木の匙を口に運んでいる。父さんは眼を細めて子を見やる。母さんは、木のお玉で鍋の中をひと混ぜしてお替わりを勧めている。

わたしの脳裏で、祖先たちの団らんの情景をようやく描くことができた。