2019年10月16日水曜日

黒革の短刀


以前に牛革を積層してプーッコのハンドルを試作してみたことは既に書いた。同様に何本か作ってみようと考えを巡らせていたら、「トコ革」なるマテリアルの存在を知った。要はレザーの表面を剥いだ後の残りのような素材で、ヌバックや芯材などに使われるようだ。これが廉価で手に入るので、レザーワッシャーに応用してみる。




床革、とも書くようだ。光沢のない質感である。写っているのが普通のレザー(植物タンニン鞣しのヌメ革)をハンドルにしたプーッコ。革を切ったり木を削ったり、プーッコ作りに重宝している。




30ミリx40ミリにカットしてタングを通す穴をあけておく。レザー用の穴明けパンチでふたつ三つの穴を穿ち、小さなプーッコで余分な革をカットする。




下拵えしておいたブレードにフロントプレートとトコ革のワッシャーを刺していく。エポキシの接着剤を塗りながらの作業だ。パイプを使って叩き込む作業があるため、ブレードは木片に挟んである。




治具にセットしてプレスし、一昼夜放置する。




カシメに半日近くを要してしまった。途中気晴らしにハンドルの余計な肉を殺いだりしている。ボルトが写っているのはカシメ専用の治具で、SPF材をボルトで締め上げてブレードを固定する仕組み。そのうちご紹介しよう。





ごく粗い削りの最中。




好みのフォルムを探しながら気長に削っていく。この段階でのハンドルの質感はヌバックそのものである。




ちょっとやらかしてしまった。手の手術を受けて不自由な状態でブレードを研いだら、ベベル面を不必要に削ってしまった。まあ自分用、作業プーッコと割り切ろう。この写真の状態は、ハンドルをベルトサンダーの400番で削った後、クラフト社の『クラフト染料 黒』で染め、『レザーコート マット』で色止め、さらに『トコフィニッシュ』を塗り込んでウイスキーの空ボトルで擦った状態である。





さらに空ボトルですりすりしてみた。シースには流木を使ってみようと思う。流木をホールドするレザーには真っ黒なヌメ革を使い、シックでワイルドな風貌を醸し出せるだろうか。

ハンドルマテリアルとしては床革も悪くない。太さや形状を変えて、何本か作ってみよう。





このキャットは、捕獲して飼育しようと企んでいるのだがいつまでも警戒心をほどいてくれないでいる。どなたか、彼女を家族にするための良い知恵を授けてくださらぬだろうか。





2019年10月7日月曜日

壊れた手を直す


手術室の左側の壁にデジタル表示の計時パネルが023411を刻んだ。予定より長く、わたしの想像より短く、三回目の手術が終わった。わたしが密かに「ゴッドハンド」と呼んでいるドクターは相変わらずクールな口調で、手術室に居る全員に向けて、ミッションの完了を宣言した。つらく不安な時間から解放されることを知ったわたしの目には、自然に涙があふれた。



半年近く前に、不注意から指を痛めた。指の付け根の骨が粉砕と表現されるまでに壊れてしまい、わたしは指を一本諦めたこころもちで病院に連れて行かれた。しかしゴッドハンド先生は、ほんらいならば創造主だけがなし得る能力を以てこの指を残してくれた。そして数ヶ月、プレート固定によって骨の接合を待ち、同時にリハビリを行っていたのだ。

とはいえ指を動かす腱が完全に癒着してしまい、箸が使えぬ身となった。爾来ずっと手づかみかフォークでの食事である。困ったことは何もない。いや、ある。蕎麦を手繰ることが出来ない。これは困った。秋風が立つようになった或る日、レントゲンの画像で「骨が完成した」と診断された。新蕎麦の季節はもうすぐである。このタイミングを選んでプレートを外し、リハビリを進めておかなければならない。






第二関節からまったく動かなくなってしまった薬指。腱が切れていたら諦めるしかない。生涯、蕎麦とは無縁に生きてゆかなければならない。

不思議なことがあった。冒頭に掲げた写真のプレートと六本のボルト、これらがわたしの指に埋め込まれている間、アイフォーン起動時の指紋認証ができなかったのだ。理由は解らない。近くの指に金属があることで、電気的な何かが変わるのだろうか。





今年は夏の名残がいつまでも続く。しかし秋は少しずつ深みを増してきている。わたしは自分で入院の支度を済ませ、バスに乗って病院へ向かった。手続き、検査を経て手術室の天井、いや正確には天井はとっくに見飽きていて、ずっとデジタル表示の数字を見ていた。麻酔が効いて痛みはない。しかし骨からボルトを抜き取る工具の回転音や、ゴットハンド先生のシリアスな呟きが耳に入って来る。不安は募るばかりだ。時の移ろいはあまりにも遅くて、待ち焦がれているその瞬間はいつまでも遠い未来にあった。



023411の時が訪れた。わたしは、壊れた手を直してもらったのだ。直す、と書いた。それは、ゴットハンド先生が、チタニウム合金のプレートとメスと工具と麻酔の装置と、ほかに様々な道具を用いて物理的に直してくれたのだ。タイミングベルトが切れたクルマを整備工場に持ち込んで修理してもらうように、わたしの手は修理してもらえたのだ。





手術の翌朝、病棟の窓から眺めると、わたしが棲むまちの近くの丘に虹の尻尾があった。吉兆だ。直してもらった手を、これからはわたしが治していくのだ。



ゴッドハンド先生、それから医療スタッフのみなさま、こころより御礼申し上げます。