2018年12月31日月曜日

ゆうがた、影法師に別れを


ぼんやりと秋の終わりの風景を眺めていたら、それがいつの間にか冬の姿に置き換えられてついに暮れを迎えてしまった。まだ年越しをする覚悟も用意もできては居ない。それでも、人並みに子どもたちにプレゼントを与えたり、玄関に松を飾ることが叶ったのは、それ自体が奇跡の積み重ねなんだろう。





何よりも不思議なことは、いまわたし自身がこうして生きていて、明日も生きて行こうとしていることだ。

前にも書いたが、すべての風景は奇跡である。丘の上から我が棲むまちを眺めながら、そんなことを考えていた。











或る日気がつけば、愛すべき山脈は雪に閉ざされていた。わたしが春に訪れるまで、眠りに就くのだろう。



そしてこの日が訪れる。


平成最後の大晦日は、わたしの傍らを走り去るように暮れて行く。屠蘇の用意を済ませたが、戸惑いながら午後を過ごしていると、西の窓が眩しい。

表の果樹園に立つと、今年最後の太陽は山の端に沈もうとしている。






振り返ると、長く長く伸びたおのれの影法師が居た。おい、お前は今年、何を成した。そしてこれから何を成そうとしている?

影法師は何も答えない。
陽が低くなるに連れ、影法師はますます長く引き延ばされて行く。延ばされて薄くなって、揮発するように、わたしの影法師は田園に消えた。




さようなら今年のひかりよ。
さようならわたしの影法師よ。