2018年12月31日月曜日

ゆうがた、影法師に別れを


ぼんやりと秋の終わりの風景を眺めていたら、それがいつの間にか冬の姿に置き換えられてついに暮れを迎えてしまった。まだ年越しをする覚悟も用意もできては居ない。それでも、人並みに子どもたちにプレゼントを与えたり、玄関に松を飾ることが叶ったのは、それ自体が奇跡の積み重ねなんだろう。





何よりも不思議なことは、いまわたし自身がこうして生きていて、明日も生きて行こうとしていることだ。

前にも書いたが、すべての風景は奇跡である。丘の上から我が棲むまちを眺めながら、そんなことを考えていた。











或る日気がつけば、愛すべき山脈は雪に閉ざされていた。わたしが春に訪れるまで、眠りに就くのだろう。



そしてこの日が訪れる。


平成最後の大晦日は、わたしの傍らを走り去るように暮れて行く。屠蘇の用意を済ませたが、戸惑いながら午後を過ごしていると、西の窓が眩しい。

表の果樹園に立つと、今年最後の太陽は山の端に沈もうとしている。






振り返ると、長く長く伸びたおのれの影法師が居た。おい、お前は今年、何を成した。そしてこれから何を成そうとしている?

影法師は何も答えない。
陽が低くなるに連れ、影法師はますます長く引き延ばされて行く。延ばされて薄くなって、揮発するように、わたしの影法師は田園に消えた。




さようなら今年のひかりよ。
さようならわたしの影法師よ。






2018年11月26日月曜日

芋を焼く


えらい人から「おまえ、子どもたち集めて何か遊びをやれ」と命ぜられたのは昨年夏のことだ。そこで、近所の公園でデイキャンプのような催しを企画した。そこそこの人数が集まり、許可を得て焚き火を起こし、飯ごうでご飯を炊き、わたしがスズキサトル君の協力を得て作ったカレーも好評でまあまあ賑やかな地区行事だった。スズキサトル君というのはわたしの山友の美術家で、イラストレータとして活躍する傍らブッシュクラフターとしての評価も高い男だ。

デイキャンプの件で、言われた通りにやったからもうこれで十分だろうと放っておいたら、「今年もやれ」とうるさい。忙しくて山にも行けぬ身、行事どころではない。そこでなるべく手の掛からぬ内容の「焼き芋会」で逃げ切ろうと企てたのだった。

うちの子どもたちのおやつにと、ダッヂオーブンで芋を焼くことには慣れている。同じ要領でやれば、炭火に2時間放置で焼き芋のごときものが出来上がる。ところが子どもたちが何十人も集まると聞いて、それではダッヂオーブンが足りない。あのくっそ重い鉄鍋を何台かき集めれば良いのか、途方に暮れた。暮れたままでは事が進まないので、手のかからぬ焼き芋の作り方を調べた。調べた結果、どうやら石焼き芋に分がある。町会の倉庫の古鍋などで道具は賄えるだろう。手順も一度覚えてしまえば、今後は地区行事の度に石焼き芋をやれば良い。






わたしが棲むまちの片隅に、こんな丘と広葉樹の森が広がっている。この森と広場を使って、野遊び会が始まった。





急斜面にクライミングロープやつなぎ合わせたシュリンゲなどを垂らし巡らせてある。ふだんは高学年の男の子たちぐらいしか遊べない場所で、小さな子どもも女の子たちも、大騒ぎしながら昇り降りしていた。





大きな古鍋をふたつも持ち出して炭火に掛けた。鍋には小石を敷き、アルミフォイルでくるんだ芋を焼いた。ねっとりと、しっとりと、甘く香ばしい石焼き芋は、秋空のもとに集まってくれた子どもたちの胃袋に消えて行った。





うまい石焼き芋を焼くために、実は数回にわたる実験が在った。







秋の深まりは焼き芋会が近づいたことをわたしに悟らせる。じりじりとした焦燥感に包まれて、どうしたら美味い焼き芋が出来るのだろう。週末の貴重な時間を使って、試行錯誤が始まった。






幾度も売り場に足を運んで、様々な品種の芋を手に入れた。






石焼き芋用の小石はホームセンターのエクステリアコーナーで買い求めた。




ホクホク、の焼き芋なら簡単に焼ける。わたしが求めているのはこれじゃない。黄金色の、しっとりとした甘い焼き芋である。





鍋の種類や熱源を変えてみたり。アルミフォイルを使用したりしなかったり。新聞紙に包んだり、むき出しだったり。







 一方、ガスが良いのかアルミ鍋が悪いのか。


 

加熱時間は適正か、中火で良いのか弱火が好ましいのか。芋の品種の相性もあるだろう。




四回の週末が、石焼き芋の実験に費やされた。書き換えると、四回山にいけたはずなのに、一度も行けなかったということだ。





そして一定の条件を満たした場合に、黄金色の美味い石焼き芋が完成することが解った。その法則は、わたしがここに書くよりも、世の中に出回っている情報の方がアテになりそうだ。


野遊びに続いた焼き芋会のあと、スズキサトル師匠が子どもたちにブーメランづくりを教えてくれた。バルサのブーメランは、澄んだ秋空に吸い込まれるように高く舞った。



焼き芋の火の番に来てくれた倅も、空高く舞うブーメランを追うように、何時間も空を眺めて過ごした。










2018年10月8日月曜日

戸谷峰の秋


10月8日、曇り空を仰ぎながら「雨は降るまい」と決めて国道254号にカブを駆る。自宅から30分もかからずに三才山トンネル手前の帯所橋にカブを停め、野間沢橋から入山する。





この山の樹々は、人々のくらしと共に在った。だが伐り尽くされるような事はなく、株分かれした欅や小楢が森を成す。











どんぐりが多い。この秋、獣たちはたっぷり喰えるだろう。ここにはツキノワグマも棲むのだ。





北ア稜線のナナカマドはすっかり色着いたと聞いた。里山も、こうして錦秋の色彩に染まって行くのだ。





山栗も太った実をこぼしている。




何度訪れたか解らないほど、ここには足を運んだ。今日も大福餅を供えて、山の神さまに感謝を捧げる。





となりの六人坊も秋色に染め上げられている。西の彼方を眺めれば....





雲間から槍穂高の連なりである。






大キレット、南岳、中岳、常念、そしてお槍さま。





一昨年這いずり回った明神のあたりには雲に隠れていた。





このあと、山の樹々は一気に色づいて行く。





大きなほおの樹。







松林の中で、香り高いきのこを見つけた。もうシーズンも終わりだろう。






国道254に降り立つ。いつの間にか雲が取れて青空が広がっていた。






一ノ瀬集落の外れで、すすきの穂を束ねたものを見かけた。もしや、御射神社秋宮さんの祭礼か?





その通りであった。鳥居下に居られた氏子らしき御婦人に伺うと、お神楽の奉納が終わった所だという。






氏子衆が和やかに語らう境内の奥へ、拝殿まで登って行った。軽く会釈をすると、みな上機嫌で会釈を返してくれる。あきらかな余所者なのに、わたしに向けても良い笑顔だった。わたしは作法通り、二礼二拍手一礼の参拝を済ませ、氏子衆に礼を云いながら境内を後にした。山の神さま、ありがとうございました。







2018年10月5日金曜日

蕎麦、実る。


2018年8月18日。まだ午後も早い時刻だが、ポケットにウイスキーの小瓶を忍ばせて拙宅近くの畑みちをぶらぶら拾う。初夏に麦を刈り取った畑には、蕎麦が蒔かれて芽を伸ばしていた。







ひと月経った9月なかごろの蕎麦畑の様子。白く可憐な花をつけた蕎麦畑に立つ。一面の蕎麦の花は、美しすぎて異界のもののようにも思えてしまう。去って行った夏を思い返し、言葉にならない寂寥感を表す色なのだ。






蕎麦の花のときは、長い。咲き始めには、隣の水田はまだ青々としている。これが、時の移ろいに気付かずに居ると、いつの間にか田んぼは黄金色に変じて輝いている。白と緑、白と黄金。鮮やかな色彩の対比も移ろうのだ。









9月22日。白き花も永遠ではない。徐々に褐色をまとい、花は枯れてゆく。花弁の下に、四面体のような蕎麦粒が見える。





午後の蕎麦畑。初秋に眺めた白い輝きはすでに失われている。





 あかとんぼ、空から眺めた景色を、わたしに教えてくれ。










9月28日。たった数日のうちに、蕎麦の花は消え去った。

かつて花が咲いていたあたりを眺めれば、まだ緑色をした玄蕎麦の実を観察する事が出来る。この中で蕎麦の実が太るのだ。









そして十月に入ると、そば殻は暗褐色に変じてくる。





刈り入れまで、あとすこし。新蕎麦の季節まで、わずかである。たまらん。






 




2018年9月9日日曜日

行者にんにくを玉子とじに...


春にかき取って生のまま醤油漬けにしておいた行者にんにくがある。もともとの株は近所の山の泉の畔から失敬してきたやつで、庭に4、5株ほどを植えておいたら毎年葉を伸ばすようになった。

普段は鰹のタタキと合わせたり、冷や奴に乗せたりしていたが、玉子とじというのを試してみた。






これが材料である。これ以外には、炊飯器の中で炊きあがり蒸らされている松本産コシヒカリがあるのみである。白出汁は、市販のものである。玉子も同じくである。容器の中に見えるのが、庭の行者にんにくである。







行者にんにくを刻む。願い叶うのならば、葉ではなく白く柔らかい茎だけを使いたい。でもそれは、叶わぬ夢である。願いは夢のままこころに宿しておこう。






ひとりで玉子を三つも食するのか、と問われれば、顔を赤らめて肯定しよう。ミドルがそんなことをして.... と絶句されるのは解っておる。解った上であえて無茶無謀をするのが本稿の趣である。日曜日の朝、その男のめしというものは限りなく贅沢で良いのだ。

そういえば、池波正太郎さんの作品の中で、巡る因果の風車、真剣を以ての果たし合いあるいは敵(かたき)討ちに向かう剣客が、まだ明けやらぬ薄やみの頃、生玉子をふたつみっつ、椀に割り入れて腹に収める場面があったように記憶している。一方で、果たし合いに向かう因果も無き凡庸なミドルに、南無八幡の神徳が必要でもあるまいに。玉子を割りながら忸怩(じくじ)たる思いに抱きすくめられるというのも、その男の生き様である。








刻んだ行者にんにくと溶き玉子を、ごま油を敷いたフライパンに注ぐ。







フライパンの柄のところを手刀でとんとんと叩き、ふわっふわにまとめあげながら巻いてゆき、つまりはオムレツである。






これが炊きたての松本産コシヒカリの上に乗せられると、事情がちと変わってくる。コシヒカリは従兄弟が作っているやつで、女鳥羽川の清流の恵みそのものである。松本市三才山稲倉という場所に、国道254号にかかる橋の傍らに分水堰がある。岩魚も山女魚も棲む清らかな流れを、この堰からどうどうと引き込んで田んぼに張る。そして実ったコシヒカリが、わたしの目の前のどんぶりに、炊きたての湯気をのぼらせて盛られている。

白いめしの上に黄色い玉子とじが乗る。行者にんにくの緑の茎と葉がのぞく。そこへ出汁が香る。


オムレツ状の玉子とじを、崩してみよう。




ぷるっ。

とろっ。
じゅわっ。



また新しい湯気が立ちのぼった。






ぷりっぷりっに炊きあがった飯粒と一緒に、箸ですくってみる。固まり切っていない玉子が、滴り落ちる。





「ふくよかな見た目の中に滋味と芳香を忍ばせ、それこそ、えも言われぬ....」 池波正太郎さんなら、こう書くだろう。わたしの語彙では、「美味そうだ」ぐらいにしか書けないのがもどかしい。





蕗を炊いたものとねんぼろ味噌を添えてある。思えば本稿は初夏の頃に書きかけであったものだ。季節は巡り、蕎麦の花を眺め稲穂の実りを見る頃である。わたしは、相も変わらずに飯をどんぶりに高々と盛り、それをお替わりする。林檎の樹の葉が黄色く染まるころ、それでも「まだ足りない」とここに書くのだろう。

その男、いくつ年を重ねても、成長がない。