2018年9月9日日曜日

北へ、南へ。




今年の盆は、山には入らず下界で過ごしていた。

北信濃の方に見ておきたいものがあったので、家人を誘って出かける。行き先は小布施町の『北斎館』で、要するに画狂人・葛飾北斎の作品を肉眼で眺めてみたかったのである。





お目当ては、この町の屋台の天井画『男浪』『女浪』のオリジナルである。信州では普通に「屋台」と呼ぶが、「山車」の方が一般的かもしれない。その屋台の装飾として北斎86歳にして描いた肉筆画である。写真は、記念に求めたポストカード。

かつてないほどの酷暑の日々、この日も北斎館の屋根に突然の夕立の雨音を聞くほどであった。そんな折りである、わたしは二枚の怒濤の絵の前に立ち尽くしていた。

全身の皮膚が粟立ち、震えていた。

大して冷房が効いている訳でもない展示室で、悪寒を感じるほどの震えが起きていた。何と云うのだろう、このようなものを眼前にして、わたしには表す言葉もなかった。ただただ、凄みに圧倒されて打ちのめされて、息を荒くしているしかなかった。めずらしく同行している我が家の中学生の兄妹も、この展示室では神妙にしていた。







北斎館を後にしたわたしたちは、長野市の茶臼山動物園に向かった。夜の動物園を開放するという企画で、園内で夕涼みのように過ごせるのである。思いのほか人気のようで賑やかなまでに来園者が居た。家族で来ることが出来て良かったなどと思い巡らし、様々な動物の展示を楽しみながら、暮れ行く善光寺平を眺めていた。











時は移ろう。



伊那谷に所用があり、家人の運転で南へと向かう。長野道から中央道へ入ると風景がとても新鮮に感じられる。思い返せば一年ぶりで、その時も同じ目的で伊那谷へ入ったのだ。

所用を済ませると昼時で、どこの蕎麦を手繰ろうかと真剣な議論になる。家人は蕎麦好きで、出先でのメシは蕎麦屋の開拓と決まっている。この日は二、三の候補からわたしが推した『こやぶ 竹聲庵』へ向かうことになった。












伊那谷の蕎麦畑。一面に咲く白き花を、いかなる言葉で愛でたら良いのだろうか。この風景に、果てしない旅情をかき立てられる。遠くへ行きたい、旅をしたい。





評判の店だけあって混んでいた。地元産のそば粉限定、十割の蕎麦を頼む。出てきた蕎麦は大変に好ましい面構えであったが、静かな古民家の佇まいにシャッター音を響かせる気になれず、載せるような写真は撮っていない。





見慣れぬ風景の美しきこと。小さな旅であるが、良い旅に出ることが出来た。






変哲のない日常に過ごしながらも、ある宵、玄関先から空を見上げれば、息を呑むような光景が広がっている。「旅」というものは、地点と座標の移動のいきさつにあるのではなく、「場所」という物語性の文脈の中にあるのだろう。その「場所」から見上げる空は、そのとき間違いなくわたしがそこに居た、ということを証明してくれる。中原中也がその作品で歌ったように、「ゆふがた 空の下で 身一点に感じ」たのは中也の詩人としての到達点なのだろう。わたしには未だ到達点というものはなく、終わりなき旅路を生き急いでいるだけだ。だからこそ、一瞬一瞬の存在の証明をトラックログのように刻み確かめながら、旅を続ける。



近いうちに、ふたつの旅を企てている。

ひとつは、ふたりの女性に逢いにゆこうという旅だ。彼女たちは、この夏の間、東京に過ごしたと聞く。上野の「東京国立博物館」で展示され、企画展の終了とともに信州へ帰ってくるだろう。帰ってきた『縄文のビーナス』と『仮面の女神』に逢うべく、わたしは小さな旅に出るだろう。

もうひとつ、善光寺街道を歩こうと企てている。信州松本の拙宅近くを通る善光寺街道は、正しくは「北国西脇往還」と呼ぶようだ。この古き祈りの道を、ご近所を起点に3回ぐらいに分けて歩く。鉄道をうまく使って区間を区切り、毎年正月に詣る善光寺さんへ歩き通すのだ。善光寺ご本堂では初めてのお戒壇巡りも楽しみである。



どちらも小さな旅である。小さな旅であるが、時空を超えて「場所」を、「祈り」を乗り越えてゆかねば辿り着けない、わたしのグレートジャーニーである。




















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