2018年7月16日月曜日

酷暑炎天に干し上げろ


ある夕、梓川の土手に立つ。

北の方角、丘陵の彼方に金床雲を見た。夏至を過ぎていくらもない頃である、仕事を終えて家路に就くも、日没は遅い。真夏の入り口に立っていることに気付かされ、帰宅するやじりじりとした気持ちで梅仕事に没頭する毎日。





そんな折り、菜園のジャガイモがテントウムシダマシに集(たか)られて樹勢が衰えてきた。うむ、掘り上げよう。二十日ほど早いが、もうこれ以上は太るまい。品種みっつ、10kgぐらいずつを収穫する。





梅の実の塩漬けは、すべて終わった。もう店頭に黄熟梅が並ぶことはない。入れ替わるように県内産の赤紫蘇が出回り始めた。これを梅干し用に仕入れてくる。樽に張った水にジャバジャバと洗い、汚れを落とす。葉っぱを一枚一枚丁寧にちぎっては水気を切る。日曜の朝に赤紫蘇を洗って過ごせるしあわせをかみしめながらの、かけがえのないひと時である。





こうして季節の目盛りをひとつずつ刻みながら、わたしは梅たちと向かい合い、おのれと対峙する。梅仕事の醍醐味である。






洗って乾かした赤紫蘇の葉を計量する。次いで、目安二割の塩を用意する。その半分を紫蘇の葉に揉み込んで、灰汁を絞る。左のボウルの泡が灰汁である。







これが絞られた赤紫蘇の葉。






残りの塩を投じてまた揉み込む。揉んでは塩をまぶし込み、また絞る。二回目の灰汁を絞って棄てると、下拵えは終わり。







ここへ梅酢を注いでやる。紫色をした絞り汁が化学反応で鮮やかな紅に変じる。美しい瞬間である。





これを塩漬けした梅の実の上に乗せてやる。キャップを締める前に、この時だけはウオッカを吹いた。黴の予防を意図してのことである。



 

しばらく、十日二十日と赤紫蘇と過ごした梅は、鮮やかな紅色をまとっている。箙(えびら)に広げて太陽の恵みというものを教えてやる。恵みというが、酷暑炎天の灼熱である。梅の実の肌を炙り焼き尽くす真夏の太陽である。梅たちには気の毒だが、これで梅の実が梅干しに昇華する、たいせつなことなのだ。











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