2019年1月13日日曜日

男鳥羽不動尊

わたしが棲み暮らしている町に、小さなせせらぎがある。大門沢と言って北の方の山から流れ出している。その流れを遡っていくと、谷の底にお不動さまが居られると聞いた。何度か探しに出掛けたが、その場所が判らない。月日が流れて、わたしはお不動さまのことをすっかり忘れ去っていた。



ある日のこと、ある案内板にこのお不動さまのことが書かれていた。ほう、あの辺りか、探しても見つからぬ訳だ。沢に降りるのにはあの小道、と見当を定めて出掛けてみた。拙宅から半時間ほど田園を歩き、大門沢が山あいの谷を流れる場所へと赴く。






林檎畑に分け入る細道から森へ。やがて荒れた杣道のような踏み跡を倒木を跨ぎながら進む。沢に降りたところには、踏み跡には不釣り合いな橋が掛けられていた。やはりこの奥か、間違いあるまいと橋を渡り斜面をトラバースする。すると、急斜面を背に東を向く格好でお不動さまが居られた。





年が明けて松も取れぬ頃である。正月の飾りが笹に付けられている。やはりいまでも大切にされているのだ。湧水を引いた塩ビ管は凍り付いている。これが男鳥羽の滝か。男鳥羽というのは、東の方の大村に立派なお寺があり、境内に女鳥羽の滝がある。その対を意図して名付けられたと聞いた。女鳥羽の滝の水が注ぐ川が、松本市中を流れる女鳥羽川である。一方のこちらは、ひっそりと地元の人々に奉られているばかりである。過去にわたしの探索を退けたほどの森の奥の谷の底であるから、広く知られてもいない。


お不動さまが居られるところには、なぜか滝がある。少なくとも湧水を引いて水が落ちている。あるいはせせらぎだったりする。密教と深い関わりのあるお不動さまは、水神の性格を受け継いでおられるのだろうか。このあたりの事情はwikiを読んでもよくわからぬ。

おや? お不動さまは、神か、仏か。まずそこからである。wikiには「信仰対象」とあって、神か仏かが明確に書かれていない。神仏習合という日本古代史上の「荒業」に、いま、わたしは戸惑わされている訳だ。

こうした事柄が去来して、お参りの作法が定まらずにいた。少なくとも柏手を打つのは違うように思える。それに、目黒不動さんはたしかお寺だったと思い出された。ならば、瞑目して合掌、礼拝しておけ。冷たい風が流れる寂しい谷の底で、わたしは頭を垂れて、また参りますと呟いた。














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