2020年2月16日日曜日

寒の底で牛筋を煮る


二月だというのに、雨音がしている。それでも底冷えのする日々はあった。少し前、高校生の倅が「野山を少し歩いてこようよ」と誘ってきたので出かけると、古い街道の峠で冷えに冷えた。峠から下りてきてからまちにもどり、肉売り場で国産の牛筋肉を買い求めた。



鍋に湯を沸かし、塊ごと放り込む。ぐらぐらと煮立てて半時間ほど煮る。この湯は全部流してしまい、牛筋をよく洗ってからひと口に切る。





根菜と葱の青いところを用意し、ここへ筋肉を加える。味付けはまだのことで、日本酒を二合ほど注ぐ。灰汁をすくいながら、燗酒を飲んでいた。普段は冷やでちびちび舐めるが、峠歩きで冷えきっていた身体が「熱いのを」と求めてきたのだ。





アルミ箔で落とし蓋をしておき、ひと風呂浴びて来る。ようやくに暖まった。鍋の中では素材たちが愉しそうにふつふつ云っている。蜂蜜、黒砂糖、味醂を入れて、日本酒をまた一合ほど足してやる。風呂上がりだ、わたしは冷やで口に含んだ。忘れかけていた椎茸を鍋に投じる。

牛筋が柔らかくなったところまでじっくり炊く。二、三時間は炊いただろうか。味見するととろり、ほろり、と牛筋が応えてくれた。一度冷まさねば、本来の味わいは得られない。あら熱を取り、容器に移して冷蔵庫へ。何日かに分けて少しずつ楽しもう。





葱を刻んで乗せ、善光寺さん御門前の八幡屋磯伍郎を振る。寒の底の夜は、こうしたのが一番嬉しい。


5 件のコメント:



  1. アラスカからです。
    師匠、ナイフ作りの記事もいいですが、やっぱり私はこれを楽しみにしています。

    すじ肉料理。写真と文章ともに凶器のように、私の胃袋を鋭く刺して来ます。

    国産の牛すじ肉は手に入りませんが、今年は地元のソーセージ屋に知り合いを作った友人のおかげで
    ハンターが撃ったムース、バッファロー、それに鹿の肉が骨付きで我が家の冷凍庫に眠っています。

    おいおい料理していこうとたくらんでいますが、師匠のこういう記事大変参考になります。
    味付けは塩味ですか、それとも醤油ベースでしょうか?
    味噌なんかはどうでしょう?

    底冷えする冬の夜に最高のごちそうですね。

    またこういう記事おねがいします、是非とも。

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    1. アラスカの兄貴!
      ご当地はどのようなご様子でしょうか。暖かい冬がまさかアラスカにまで?

      暖かい冬と言い聞かされても、二年前に猫のタイガーが居なくなってからは、
      それはそれは寒い日々であります。唯一の暖房器具でありましたから、残念でなりません。そんな折り、ムーさんのことをうかがって、しみじみ、思い出しております。

      ムースとかバッファローとか、憧れであります。
      肉や革もそうですが、角とか角とか骨とか、ナイフのハンドル材料になりそうです。
      所詮、わたしたちヒトは、ほかの命から大切な素材をいただいて、酒のアテにしたり、道具にしたり、なでまわしたり、冬のぬくもりにしたり、するしかないようであります。

      ふと思いました。阿佐ヶ谷とか荻窪とかそういった街の飾り気のない赤提灯で、
      兄貴とそんな話をしながら酔いつぶれる日が来ると良いな、と。

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    2. そして書き足します。
      煮込み料理を作るときは、シンプルな味付けをいたします。
      このときの牛筋は、白出汁が主役です。これを、翌日には味噌を足して変化球にします。この週末はロールキャベツを作る予定ですが、コンソメで仕立てて味わった翌日、パスタを加えてトマト味に。こんな風に、ベースを抑え気味の味わいにしておいて切り替えられるようにするのが、ひげろくの料理スタイルなのだと思っています。

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  2. 師匠、有難うございます。

    全くです。我々ヒトというものは、他の命を勝手気ままにいろいろなかたちで利用して生きているのですね。

    ペットという我々の世界でしか通用しない限定のラベルをはって、こちらの都合で撫で回したり感情移入したり。。。。

    平素、生死はものの表裏、めぐり来て過ぎてゆく季節のように必然なものと抽象的には思っていても、実生活で体験する具体的な近き存在の死には、離別という理屈では理解不能な精神体験を伴うものだとこの度思い知らされました。

    でも、一歩ひいてみてみれば、その別れの悲しみさえも、我々がこの日常をいきていくのに退屈しないように彼らの死を利用しているということなのかもしれません。

    とりとめもないことを書いてしまいました。

    料理についての書き足し、大変参考になりました。なるほど、変化球ですか!!
    確かに、それは楽しめます。それにつけても初日の白だし汁仕立て、味が気になります。どのくらい塩からくて、どのくらい蜂蜜や黒糖や野菜の甘みがするのでしょう?
    さすがの師匠の写真を持ってしても、ブログでは味まではわかりません。考えるほどにもどかしい。罪作りな記事です。

    いつか、そんなもどかしさをかんじることなく二人で同じ料理をつつき、同じ酒でもなめながら、誰も興味のないような訳のわからないはなしができればと思います。

    今年のアラスカは久しぶりの極寒です。ようやく寒さは緩みましたが、今度は連日雪。春などまだだいぶ先のようです。一文の得にもならないことを考えるのにもってこいです。

    そんなこともあって、ついつい長々とかいてしまいました。

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  3. 兄貴。
    そう遠くない先、2、3年後でしょうか。家を追い出されるだろうと想定しています。一寸先は闇、迎えてくれるのは圧倒的で絶望的なまでの孤独なのでしょうか。これは家を出されなくとも誰もが迎える近未来。つまりは、いまこの瞬間に繰り広げられている森羅万象、味わいの世界、美酒との語らい、山岳の経験、風雪の記憶、愛猫との絆、すべてはみなもに浮かぶうたかたのひとつ、春の夜の夢のごとき、淡き幻のようなものと思うに至りました。

    そろそろ、写経に明け暮れ座禅を日課とする時期が訪れたのかもしれません。家を追い出されればそれも叶わず、草むらにごにょごにょ呻く声が聞こえると怪談が発生するのでしょうか。信州松本では例の新型何とかが話題になってまいりました。こどものころ、トヨペットにつとめていた親戚が、新型コロナを運んできてくれた日曜日のことを思い出しています。

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