2019年5月11日土曜日

春の野に酔う


桜に続いて林檎が花を開かせると、信州は爛漫の春を迎える。夏の兆しには遠く、しかし冬の記憶も薄れかかるこの季節になると、わたしはしばしば野に出て酔い痴れる。もしかしたら季節を問わずに野に出て酔っているかもしれないが、この季節には好んでそうする。






夕方、空の下で、身一点に感じられると中原中也が歌った人間としての到達点に、わたしは遠く届かない。それでも、南に鉢伏山を眺めて足下のせせらぎを肴にモルトを呷るとき、いま人生の楽園に居ると気付かされる。





ある日、素敵な池を見つけた。裏山の一角から樹林越しに水面が見えたのだ。早速訪れてみると、野の小路の奥にひっそりとその池はあった。堤にケツを据えてモルトを嗅ぐ。ツマミは要らない。「山、嗤う」と表現される広葉樹の芽吹きのいろどりをながめているだけで、池のほとりには静かに時が流れていく。




池の奥にも小路が続いている。轍を拾ってみよう。

何度も訪れたことがある丘の上に出ることができた。数年前からベンチが置かれている。お借りしますと呟いて、モルトの続きを愉しむ。




 あああ堪らん。




ここまで来る途中の森の中には躑躅が咲いていた。





棄てられた乗用車。型式も古いものとうかがえる。

モルトを一旦ケツのポケットに納めて、さらに野から森へ、続く丘へと足を運ぶ。





ここもよく来る観音堂。拙宅の屋根も見えている。





田植えが始まろうとしている。水が張られた田圃には、今夜から蛙達が集まり出すことだろう。夕方、空の下で、身一点に蛙の合唱を聴いてみようではないか。むろん、モルトを携えて。





















0 件のコメント:

コメントを投稿