2018年3月24日土曜日

里の神に詣でる〜白張神社(松本市四賀七嵐)


善光寺街道の古いみち筋に刈谷原峠がある。この峠は岡田宿と刈谷原宿の間の難所とされ、つづら折れの山道が続いている。この峠のすぐ東側に、もうひとつ稲倉峠(しなぐらとうげ)という峠があり細い林道が通じている。この林道を松本市三才山稲倉から峠を越え、旧四賀村七嵐に降り立った場所が、この白張神社さんが鎮まる集落である。

社殿は東を向いているが、沢を挟んだ対岸の尾根を睨み据えている訳でもあるまい。






平成30年3月18日、鳥居の下の斜面に福寿草が無数の花を咲かせていた。ここ四賀では、そこかしこに福寿草が咲く。この時期には「福寿草祭り」が開かれるが、わざわざ会場へ足を運ばなくても、ほら。






拝殿へ昇る石段の前に、立派な神楽殿が建つ。一部荒れてはいるが、造りはしっかりしたもの。この近くに住む知人から、コンサートのような催しが開かれたことがあったと聞いた。






神楽殿を背に、拝殿を仰ぐ。





白張神社拝殿。わたしは建築様式というものを理解していないので、これを説明する語彙を持たない。長野県神社庁に拠ると、祭神は健御名方神(タケミナカタノカミ)、例祭日は10月第2土・日曜とある。つまりは松本地方にも多い、お諏訪さまに連なる神さまということだ、とタイプしかけてためらう。

諏訪生まれで茅野育ちのある友人が、お諏訪さまはお諏訪さまであって、健御名方神ではないと力説するのだ。わたしもよく理解しかねているのでここではこれ以上触れないが、上に書きかけた「お諏訪さまに連なる云々」は保留にしておこう。






社殿北側から、境内摂社の祠を覆う建家を見ている。





ずらりと並んだ白木の小祠にまじって、古びた様子の石祠も祀られている。





天井近くに木札が掛かり「山の神別宮」と掲げられていた。





境内にしめ縄なのか、縄を巻かれた老杉。その根方にも石祠が祀られている。





里山に増え過ぎた鹿と猪を除けようと、集落全体が防獣柵で囲まれている。これは白張神社さんのあるこの地区に限ったことではなく、松本平の山際ではどこにでも見られる光景だ。集落側の最初の鳥居と社殿の間に柵を設けたのは別に意図することがある訳ではないだろう。しかし図らずも神さまのおわす領域と人間の暮らす場所を隔ててしまって、却って皮肉ではある。





柵のあたりから北側を見る。爺ヶ岳、鹿島槍、五竜、そして白馬三山と小蓮華の稜線までが見えている。今季も冬山に出かける機会を得ることは出来なかった。





車道に降り立って見上げる。なるほど急な斜面に鎮まっておられる訳である。









0 件のコメント:

コメントを投稿