2018年3月24日土曜日

巨木に会う〜松本市内田の大欅


鉢伏山の山麓にあたる松本市南東部に内田と呼ばれるところがある。山の傾斜が西に向かって緩やかになってきて、そろそろ平地と交わるだろうかという一帯である。目の前にはいつも北アルプスの稜線が見えていて、松本城付近からはまったく見えない穂高の岩の伽藍が望まれる土地である。

その一角に、内田(馬場家)のケヤキと呼ばれる巨樹がある。


平成30年1月27日、わたしは凍てつく空の下をリトルに跨がって、この大欅に会いに来た。







大欅の下に、南面する祠と鳥居がある。巨木と祠はいわば「組み」になっているというのがわたしの持論で、その説明に「ひとは巨木に会うと、そこに神を見る」という言葉を使う予定でいる。

内田のこの大欅も同じように観察していたら案内板があった。そこには『祝殿』とあって、この祠は屋敷神、祖霊神の性格を持つようだ。祀られている祠の神さまが先なのか、巨木があるから祠が置かれたのか、鶏と玉子のような事柄のようだ。この問題を突き詰めて行くと、神社とは、祭祀とは、神さまとは、そして日本人とは、というところに触れねばならぬので、今は控えておく。





神が宿るのか。それとも天地に満ちた神霊がこの樹に降りるのか。わたしはたしかに、神を見た。





サイト『松本のたから』にある紹介文をそのまま貼っておく。



馬場家を守る聖なる空間
  内田の重要文化財馬場家住宅の祝殿(いわいでん)の境内にあり、馬場家のケヤキともよばれています。馬場家の祝殿は古屋敷大明神を祀ったもので、棟木銘から明治22年(1889)の再建であることが明らかになっています。この祝殿は、他の馬場家住宅の建造物とともに国重要文化財に指定されています。
  祝殿の境内とその周辺は小さな森のようになっており、そのなかでひときわ大きくそびえ立っているケヤキです。高さは約30m、樹冠は30m、目通り直径2.5mに達する大木で、枝枯れが一部ありますが、現在も勢いよく成育しています。







すこし離れた場所から、大欅を撮る。

この場所から撮ったことには、理由がある。ここに遺跡発掘調査のレポートの一部を掲げる。



左端の青い矢印に、大欅の一部が写っている。一面の雪の農地を隔てて、わたしは白い矢印のところに立っていた。画像の中央の左部分は国の重要文化財『馬場家住宅』として知られている豪農の屋敷で、くわしくはここ『馬場家住宅旧灰部屋・松本のたから』などを読んでいただきたい。

手前右の農地が掘り返されて穴だらけになっている。これは『エリ穴遺跡』として知られている縄文時代後期の重要な遺跡から出土中の住居跡である。ここから夥しい数の土製耳飾りが出土していて、わたしは欅に会ったのちに実物を見学してきた。ここは、耳飾りを創った縄文の村の跡なのだ。

そんな場所に聳える(こんにちの)大欅には、先代、あるいは先先代の欅たちがいて、ここが縄文の村だった頃から神としてお祀りされていたのかもしれない、ふとそう思ったのである。さらに書くと、ひとつの巨樹に対して神を見た、というよりも、神の鎮まる聖なる場所、あるいは神の降り立つ特別な空間として、欅の巨樹群が大切に守られてきたと考える方が自然なのではないか、とも思える。ともあれ「はじめに巨樹ありき」なのか、「神の鎮まる場所だから巨樹を守る」おこないの結果だったのか、いまのわたしには判らない。


加えて書く。文化財として保存されている馬場家住宅の敷地の下には、エリ穴遺跡の「未発掘部分」が眠っているのだろうと考えている。今後長期にわたって保存されて行くだろう馬場家住宅が全面的に掘り返されることは無いだろう。建造物の保存などの理由で一部が掘り起こされる可能性はある。そのとき、こんにちよりも遥かに進んだ考古学研究の手法とか知見とかが活かされて、いまだ眠ったままの縄文の村のことを解き明かしてくれるかもしれない。


わたしは、この大欅に会いに行って神を見た。
その神はふるいふるい、日本の文化の最古層に祀られている神の現れなのかもしれない。神を祀ったひとびとは、もういない。しかしいつか、その暮らしの痕跡などから、こころの在り様や考え方の片鱗なんかをわたしたちに教えてくれる日が来るだろう。




エリ穴村のひとびとが遺した土製の耳飾り。様々な意匠が凝らされ、造形の妙を楽しむことが出来る。松本市中山の考古博物館に展示されている。








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