2018年3月25日日曜日

里山に淡雪を踏みて





お前は何故、山に行くのか?

それは、わたしが存在しているからだ。








国道254号の野間沢橋。
三才山トンネルの西側にある、標高1000mの標識が掲げられている場所だ。そういえば、僕が最初に通った小学校は池袋にあった。小学校の前の大通りが国道254号で、登下校でこれを渡ったのだ。さらに、サラリーマン時代は埼玉県富士見市の254号近くのアパートに暮らし、のちに仕事を独立して構えた事務所が、文京区本郷の254号に面した雑居ビルだった。いま、松本市平瀬橋の国道254号の終点を、毎朝通っている。わたしは、国道254号に沿って生きてきたのかもしれない。





欅の森に分け入る。野間沢右岸の斜面にジグザグと高度を稼いで行く。





日陰の溶け残った雪の上に、小狐の足跡が残されていた。拙宅前の林にも一匹が棲み着いている。里でも山でも、ちかごろは狐が増えているのだろうか。





赤松と落葉松、尾根の左右の植生が異なる。雪の上を歩けることが嬉しくて、こころが弾む。





白樺の林を行くようになると、梢の向こうにめざす本峰が見えてくる。





送電線の鉄塔をふたつ数える。三つ目で稜線のコルに出る。





稜線に乗れば、山頂へ、はじめはなだらかな尾根を、最後だけ急な斜面を登る。





1629m、山頂は貸し切り。

風もなく、遠い空に翼を鳴らすジェット機の響きが聴こえるぐらいだ。山の神さまへのお供えを差し上げ、きょう、山に来ることが出来た奇跡に感謝する。





前日、スノウシュウの人がひとり、訪れただけのようだ。






常念山脈の上に、槍穂高の稜線も見えている。穂高の南には霞沢岳、かすむ北の方には後立山のみならず、立山劔も顔を出す。





雪を融かして珈琲タイム。





よく晴れた。

わたしは、山に行くとピークや尾根の片隅やそこかしこに、たましいの欠片(かけら)を置いてくる。今眺めているあのピーク、あのコル、その向こうのカール、あの雪渓の屈曲点に置いてきたたましいの欠片が見える。その時に同行した仲間との会話だって覚えている。たとえば、鹿島槍下山中の稜線でジョリィと畑仕事の話をした。そんなこんな、北アルプスのあっちこっちに置いてきたたましいの欠片を、こうして遠くから眺めて確かめる。おのれが、あの日あの時、間違いなくあの場所に居た、ということを呼び覚ますためだ。


娘が、さきごろ小学校を卒業した。毎朝バス通りまで送るのがわたしの日課で、6年間それを続けたのだった。別れ際にわたしは言う。「うつくしい一日を」。娘はいつも笑って手を振る。卒業式近いある朝、問うた。小学校、何が一番の思い出だった? 「うん、金管バンド!」

卒業式の前の日。この日が金管バンドの最後の練習だと言う。わたしは娘に言った。「音楽室に、あなたのたましいの欠片を置いてきなさい。あなたがそこに居たんだ、という証を刻んできなさい」

いつもは笑ってかわす娘が、すこし難しい顔をした。考えているのだ。その表情のまま、娘は登校して行った。


娘は理解してくれたようだ。この音楽室にたましいの欠片を置いてきたと言う。きっと、時が過ぎてから、その欠片は君に語りかけるだろう。






山頂を後にする。春の陽射しまぶしい雪の尾根を歩く。





欅の森の女神よ。いつか巨樹に育ってくれ。





ついさっきまで締まっていた雪は、陽光と風にぬくめられて腐ってきた。雪団子を落としながら標高を下げて行く。





時は移ろう。季節も風もひかりも、なにひとつ不変のものは無い。移ろい過ぎ行き姿を変え、戸惑ういとますら与えずに流れて行く。わたしは旅をしている。旅の途中でたましいの欠片を置いてきて、そしてそれを取りに戻ったり遠くから眺めたりする。すべてが移ろい行くなかに、せめてもの瞬間瞬間の自分を刻んでいる。旅の終着駅は、わたし自身が入る墓穴だ。そのときまで、あの峰、あの尾根のそこかしこにわたしの記憶を刻んでいくのだろう。





ふたたび国道254号に降り立った。ずっと昔、この道のはるか彼方にある小学校の前を朝夕渡っていった少年が居た。





里に下りて、山の神さまにお礼を申し上げる。いま、わたし自身が存在している奇跡にも、ありがとうを呟く。





女鳥羽川の畔から、戸谷峰を振り返る。山の神さま、ありがとうございました。









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