2018年3月11日日曜日

縄文の微笑み

縄文の神との対話は、まだ続いている。



古層の奥底の深いところから、わたしに囁きかけて来るのだ。

最初に受け取ったささやきは、土偶や装飾土器に施された「顔」が語りかけてくる言葉だった。それは、遠い先祖が五千年の時を隔ててわたしに伝えようとした「生きろ」というメッセージだった。もう少し正確に書くと、わたしひとりの生き死にの問題ではなく、わたしの次世代に連なるいのちのリレーのことである。いのちをつないで行け、という祖先たちの希求である。そういえば、長男の大豆が産まれた時の叔父の祝いの言葉が「はびこってやれ」だった。


わたしは電波系ではないので、アンテナの感度がすこし悪い。それで時折、博物館や郷土資料館などを訪れて、縄文のひとびとの手が生み出した道具たちを眺めに行く。春が花開いたようなこの日は、東筑摩郡朝日村の美術館に併設されている『朝日村 歴史民俗資料館』をおとのうた。



鉢盛山に向かってリトルを走らせる。あたりは高原野菜の畑である。





朝日村は縄文の里である。電力中継の里でもある。おおお、遠く八ヶ岳が見えている。朝日村の縄文人たちは、あの山麓の縄文集落との交流を持ったのだろうか。




村役場がやたらかっこいい。




ここが目的地。公民館や運動施設がひとまとまりになって、熊久保遺跡と云う縄文集落に立地している。館内ではその出土品を見ることができるという。





このすばらしい展示を貸し切りである。許可を得て写真を撮る。うむむ、たまらん。





おんや。奥の右から二番目の土器はどこかで見たことがあるぞ。





これは一月に松本市の考古博物館で眺めた土器だ。上部の縁にあたる部位のデザインがそっくりだ。





うむむ。すばらしい。





うむ。社宮司明神(ミシャグチ)さんもお祀りされているではないか。祭祀に使われたと考えられている石棒。屋外の復元住居内にも石棒のレプリカが建てられていた。





土器の装飾である。魚のようにも見えるが、円とやじり型の組み合わせはいろんな土器で見られる。





見よ、縄文の微笑みを。





グラウンドの土手では福寿草が咲いていた。朝日村、美しい土地である。




すこし北側から八ヶ岳。






松本に戻って豚骨ラーメンでも喰おうと考えていたのだが、どうしてもこの美しい土地で昼飯を食べたくなった。朝日村公民館の一角に営業しているカフェ『もりのこびと』に寄る。





お近くにお運びの際は、ぜし。











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