2018年3月24日土曜日

古層の神に会う〜(推定)社宮司明神(東筑摩郡朝日村原新田)



平成30年3月3日、東筑摩郡朝日村を訪れた。目的は、『朝日村 歴史民俗資料館』に展示されている『熊久保遺跡』と云う縄文遺跡からの出土品を見学するためである。

この日のことは別項で書いた。

見学に先立つ予習で、埋蔵文化財の発掘調査報告書を読んでおいた。専門的なことはさっぱり判らないので写真や図版を眺めるばかりだが、「ほう、こんなものが出てきたのか!」という予備知識があれば見学も実り多い。そんな中で周辺の遺跡の概要という内容の図版があった。そしてそのキャプションに「社宮司遺跡」という文字列を見つけたのである。

報告書の内容を転記する。

 ” 22. 社宮司遺跡 原新田集落の南西に位置。縄文時代の打製石斧が出土。”
『熊久保遺跡第10次発掘調査報告書 (2003.3 長野県東筑摩郡朝日村教育委員会)』18ページ






うむむ、社宮司遺跡とな。社宮司明神の気配か、あるいは痕跡のようなものが無いか見に行こう。

では場所を確認してみよう。


おや。何か変だぞ。

図版右側に鎖川を渡る「松の木橋」の緑色の表記がある。道は、南下して川を渡り、河岸段丘の斜面をターンして登って行く。その突き当たりに「社宮司遺跡」があるのだが、道路は遺跡を避けるようにカーブしている。




わたしは、午後の光まぶしい現地に立った。



社宮司遺跡とされている地点の南西からの眺め。うっそうと茂る杉の木立、赤い鳥居、そして社殿。ここは間違いなく、神の鎮まれる場所である。そこに祀られている神の名は、ここからでは判らない。私有地のようなので立ち入りは控え、遥拝する形での参拝となった。

個人の敷地の一角に祀られた屋敷神か稲荷社のような神さまかもしれない。しかし遺跡の名前として「社宮司」が冠せらている以上、この場所が社宮司さんと関わりがないはずが無い。この神さまは社宮司明神と捉える方が自然である。

祟り神ともされる社宮司明神である。わたしの推定通りここが社宮司さんであるならば、道路も畏れてひん曲がるだろう。















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